【第四話 時を止めた研究者】

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★ ほどなくして裁判が開かれた。 傍聴席には原告側の家族、つまり妻と子供たちだけが座っていた。彼らは原告ではなかった。見舞いにすら来なかった患者の兄が起こした裁判だったので、場の雰囲気は緊張感に満ちている。医者を屈服させようという強気な姿勢がありありと見て取れた。 森山と西成は被告側の席に座り、対面に視線を送る。原告側の弁護士は石渡という名で、西成と同年代に見える。おもに医療訴訟を扱う弁護士で、このような案件を多く手掛けているようだった。その自信満々の態度から、彼が勝訴を確信していることがうかがえた。 提出したサンプルのビタミンB1濃度の分析結果は、検査センターから裁判所に送られることになっていた。現在、未開封の状態で裁判官がそれを保管している。 森山は囁き声で西成に尋ねる。 「西成先生、サンプルの分析結果はご存知ないんですよね」 「はい、この場で科学的にビタミンB1欠乏がなかったことを証明できれば、裁判官が無罪を言い渡し、先生がこれ以上罪を問われることはありません。私が録音したボイスレコーダーも証拠品として提出してありますので、サンプルの質については問題にならないでしょう」 「けれど、もし結果が――」 森山は続きを口にするのをためらったが、西成は察してみずから言葉をつなぐ。 「その場合は、非を認めざるを得ません。しかし、判例では必ず敗訴する事例について、科学的に真実を問いただして判断を求めるというのは、なかなかできることではありません」 西成はけっして病院の職員を贔屓(ひいき)しているわけではなく、真相を追求しているだけである。そこには虚偽や邪念などが混じることのない、純粋な探究心のみが存在していた。 裁判は厳かに開始され、被告人への人定質問、検察官による起訴状朗読、そして黙秘権の告知が滞りなく進む。 森山にとっては、自身の非を詳細に書き連ねた起訴状などどうでも良かった。落ち度は認めるが、この裁判で最終的に無罪と判断されればそれで良いのだ。 罪状認否といわれる被告人と弁護人の陳述の時間となり、森山は裁判官に発言を求められる。 「あなたは高カロリー輸液投与に際し、ビタミン剤の併用が必須だという認識はあったと思うのですが、これを失念したことについてどのように受け止めているのか、説明してください」 向かいの席から突き刺される視線をものともせず、森山は堂々と自身の非について述べた。
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