【第四話 時を止めた研究者】

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「高カロリー輸液使用中はエネルギー代謝のためにビタミンB1を多量に消費します。その消費量は、1000キロカロリーあたり0.45 mgと報告されています。体内にどの程度のビタミンB1が残存していたかは明らかではありません。ですが一か月という期間を考えれば、担当医であった森山医師は患者にビタミンB1の投与を怠り、患者をビタミンB1欠乏症による重篤な代謝性アシドーシスに陥らせ、死に至らしめたと考えるのが妥当と思われます」 歯に衣着せぬ、殺人者扱いだ。森山は奥歯を割れんばかりに噛みしめる。石渡はどっと深く椅子に腰を下ろし、かすかに口元を緩めた。裁判官は続ける。 「では次に、被告の代理人である西成弁護士に意見をうかがいましょう」 西成がゆったりと立ち上がる。森山のひたいには西成に託す願いを示すかのような、大粒の汗が噴き出ていた。 「裁判官、今、石渡弁護士は『患者をビタミンB1欠乏症による重篤な代謝性アシドーシスに陥らせ』とおっしゃいました。しかし、ほんとうにビタミンB1が欠乏していたのでしょうか」 西成は厳かに述べて着席する。すると原告側の弁護士である石渡がすかさず立ち上がる。 「判例では物証などなくてもビタミンB1欠乏症に陥っていたと類推されます。必要な処置がなされていなかったのですから、この医療過誤を認めなければ法廷に正義などありえません!」 石渡の熱弁は反論すら許さないという雰囲気だった。しかし、裁判長は一息ついてから思慮深く口を開く。 「じつは、被告側から物証が提出されています。研究のために週二回の血液サンプルが保存されていたのです。患者が死亡する直前までです」 「なんですと!」 原告側の席には驚きと疑念が混ざり合った複雑な表情が広がった。 「そのサンプルにどれだけの信頼性があるというのですか!」 西成は挙手をし、「西成弁護士、どうぞ」という裁判官の合図でふたたび立ち上がった。 裁判官が石渡を制すると、石渡はしぶしぶと席に着いた。 「その点につきましてはご安心ください。サンプルの存在を知った時点で、私がみずから手を加えない状態で検査センターに提出をいたしました。一緒に提出したボイスレコーダーが信頼に足る証拠になると思います」 しかし石渡の疑念が払拭されることはない。無論、西成もそれを想定していた。西成はさらに続ける。
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