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「そう思いましたので、サンプルを提供して下さった金井先生に証人として来ていただきました。裁判長、呼んでもよろしいでしょうか」
――金井が、ここにくるだと!?
森山は自身が承知していない、ふたりの間の打ち合わせがあったことにぞっとした。森山はライバルである金井には医療過誤を起こした事実を心底、知られたくなかった。西成が金井からサンプルを拝借した時、分析結果の信頼性を保証するために用途は伝えないと言っていた。そのことに安堵したのに、西成はサンプルを提出した後、金井にサンプル分析の理由を話していたのだ。
すかさず西成を睨みつける森山。しかし西成はいたって冷静なままだ。
「西成弁護士、ではその証人をお呼びしていただけますかな」
「はい、それでは金井先生に入廷していただきましょう」
西成が手を挙げ合図をすると、裁判員のひとりが法廷の扉を開く。重厚な軋音が静寂をまとう法廷に響き、皆は固唾を飲んで見守る。
すると、場の雰囲気にそぐわないカジュアルな服装の青年が、軽やかな足取りで法廷に踏み込んできた。
裁判官、西成、そして原告側のふたりに会釈をすると、裁判官に促され証言台に向かった。
そして、証言台に立ち傍聴席に目を向けた。その瞬間、金井の表情が明るくなった。傍聴席を指さして無邪気な声をあげる。
「あーっ、おっちゃんの奥さんですね。はじめまして、僕、金井といいます。直接お会いしたことはありませんが、写真で見せていただいたので覚えています」
ぺこりと軽く頭を垂れる。まるで患者さんと生前、たいそう親しかったような口ぶりだ。
「奥さんが料理の研究で本を出版してマスコミに取り上げられた時、おっちゃんは『器量よしの妻で、いくらなんでも俺にはもったいない』って照れながら言っていたんですよ!」
森山は露骨に眉根を寄せた。ここは人間が人間を裁く場、法廷であるということに気づいていないのだろうか、いや、そんなはずはないのになぜ、と疑問が沸く。
それにもまして、担当医の森山が知りもしない家族の情報を、金井が知っていることが癪でならない。
しかし傍聴席に佇む女性は目を潤ませ打ち震えていた。表情がみるみる崩れ、ついには目頭を押さえて顔を伏せた。
森山の心中をよそに金井は続ける。
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