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「息子さんはサッカーが上手で、国立競技場で試合をしたんですよね。将来はJリーグだと言い張っていましたよ! それから娘さんは学校の成績がトップクラスだから、将来は医者か弁護士になるはずだって嬉しそうでしたよ!」
母の右隣の青年と左隣の少女もまた驚きの表情を浮かべていた。
「おっちゃんから聞いたことはきりがないんですけど、全部家族の自慢話でしたね。なんかいい家族だなぁってほっこりしました」
金井は彼が言うところの「おっちゃん」が話していた家族と対面できて嬉しかったのか、場違いの笑顔を遺族に向けていた。
裁判長が牽制の咳払いをし、法廷を本来の姿に戻そうとする。
「それでは証人は、無駄話はそこまでにして――」
「無駄話じゃないですよ、裁判長。患者さんの言葉を正直に伝えることのなにが悪いんですか!」
金井はこともあろうに裁判長に言い返した。森山は、これ以上心証を悪くしてくれるなと心の中で怒りの叫びをあげていた。
西成は森山の血走る目に気づいて小声で伝える。
「金井先生に証人になっていただくには、ちゃんと話しておくことが誠意だと思いました。ただでさえ大切な研究のサンプルを提供してくださったのですから」
正論で説き伏されては反論できる余地がない。森山は納得せざるを得なかった。
裁判長は金井に質問を続ける。
「では、あなたは、提出したサンプルになんの操作も加えていないことを誓いますか」
「はい、誓います、っていうか、当然です。僕が言えることといったら、『取っておいたサンプルは西成弁護士と一緒に検査センターに提出しました』と、『おっちゃんは家族が大好きで、採血する時に、しょっちゅう僕に自慢話をしていました』です」
にっこりと笑い、八重歯の口元を傍聴席に向かってみせた。
その時初めて、森山は気づかされた。金井は採血をしながら、主治医である森山すら知らない話を傾聴し、しっかりと記憶していた。だから金井がみずから採血をするのは、研究のサンプル収集であると同時に、患者とコミュニケーションを取るための貴重な時間でもあった。
金井が患者の血を吸う理由は、研究のためだけではなく、孤独な患者に寄り添う意味もあったのだと。
――俺はそんな気遣いを、一度でも考えたことがあっただろうか。
しかし原告である患者の兄は表情を険しくし、怒鳴りつけるように主張する。
「弟はそんなに口数の多い人間じゃない! 今のは印象操作の作り話だ!」
「静粛に!」
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