【第四話 時を止めた研究者】

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基準値の下限が目前に迫った時、森山は向かいに居座る石渡が口角を上げたことに気づいた。原告だけでなく、弁護士同士の戦いの場でもあるのだと見せつけているようでもあった。 縋るように西成に目を向けるが、当の本人は微動だにしない。一時は頭が切れる男かと思ったが、すでに諦めているのだろう、とんだ見込み違いだったと絶望に瀕する。 ところが、裁判員の次の言葉は、法廷の雰囲気をがらりと変えた。 「〇月〇日、六回目の採血、濃度は――あれ? 29 ng/mLです」 「そっ、そんな馬鹿なことがあるものか!」 石渡は立ち上がり喚声をあげた。 「いえ、間違いではありません。その後は――〇月〇日、七回目の採血では濃度は36 ng/mLです。最後の八回目では、45 ng/mLまで上昇しています!」 法廷がざわめき立ち、森山自身も驚きを隠せない。検査結果は自分を救うものであったが、どうしてそのような結果になったのか、まったく心当たりがなかったのだ。 西成はすかさず挙手し、結果の解釈に釘を刺す。 「では、この結果をもってすれば、ビタミンB1の欠乏は経過を通じて認められなかったことになりますね」 しかし石渡はやすやすと引き下がらない。すかさず反論する。 「裁判長、これは明らかに虚偽の結果です。診療録を隅から隅まで確認しましたが、この間、食事は止められていましたし、ビタミン剤の補充もありません。ビタミンB1の数値が上昇する理由などどこにもありませんから、サンプルになんらかの手が加えられたとしか考えられません!」 裁判長は結果と患者状況の乖離(かいり)に困惑している様子だ。 「では、金井さんにお尋ねしますが、このような矛盾した結果となった理由について心当たりはございますか?」 原告側は明らかに疑念の目で金井を見ていた。しかし、金井は表情に湿り気を浮かべ、思い出すようにこう言う。 「……これから話すことは、ほんとうはおっちゃんとの約束で、誰にも言わないつもりだったことです。だから、黙秘権を行使したかったんです。でも、僕はおっちゃんとの約束よりも、を守ることを選びます。 おっちゃん、どうか僕を許してください――」 金井はおもむろに矛盾した結果の真実を語りはじめた。
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