【第五話 ふたりの過去】

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西成はテーブルの上に広がった論文を視線で拾いながら話し続ける。 「それからというもの、森山先生と金井先生はともに協力して研究を進め、いくつかの論文を出版することができたんです。 金井先生は研究業績が認められ、米国のMDアンダーソン・キャンサーセンターのスタッフとして活躍されています。 もともと海の向こうに飛び立つつもりだったようですから、ポスト争いなんておくびにも考えてなかったんですよ」 「……それで森山先生は、この東山総合病院の外科部長に就任できたわけですね」 美談を耳にしたはずの前田だが、表情はますます険しくなってゆく。まるで導火線に点いた小さな火種が爆弾との距離を詰めているようでもあった。 西成はその不穏な空気を知ってか知らずか、論文を眺めながら悠長に語り続ける。 「ふたりの研究の最初の論文がこれですからね。いやぁ、彼らの研究を皮切りに、この施設でも臨床研究が盛んになりました。それに、一編の論文を仕上げるには最新の知見を取り入れますから、医療の質自体も良くなってくるんですよ。不思議なものですね」 その論文は筆頭著者がKazuhiko Moriyama、二番目がKeisuke Kanaiであった。しかも、タイトルページの下段にはふたりが研究において同等の貢献をした証である、「KM and HS contributed equally to this work」という一文が記されている。 西成はふたりの(わだち)でもあるその論文を手に取り、前田に手渡そうとする。しかし前田はうつむいたまま論文を受け取ることはなかった。声を震わせながら西成に言い返す。 「……西成先生は、そうやっていつも煙に巻くような方法で裁判を勝利しているんですね」 「ふむ、それはどういう意味なのかな、前田さん」 「先生にとっては、裁判で勝つことがすべてじゃないんですか?」 「そう思いますかね? 私は勝敗ではなく、を見ていただけですよ」 「じゃあ先生は、その患者さんの名前を覚えているんですか。今の話、患者さんの名前は一度たりとも出てこなかったですよね」 挑発的な質問に、西成は指先で眼鏡を押し上げて天井を仰いだ。わざとらしく間を置き、とぼけた態度で答える。 「ああ、覚えていますよ。確か――前田恒吉(まえだつねよし)さんとおっしゃいましたかね。その患者さんは」 そう答えた瞬間、前田は西成の論文を奪い取り、ぴしゃりと机の上に叩きつけた。保っていた表情は激しく崩れ、鬼夜叉のような憎悪に満ちた表情となった。
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