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診療部門特別相談室には暗雲が立ち込めていた。
消化器内科の准教授である鈴木は、背中を丸めてうつむく青年の前に仁王立ちしていた。
相談室の秘書である前田は、鈴木の怒りがいつ爆発するのかと肝を冷やしていた。鈴木は黙り込んだままの青年に耐えかね、ついに怒号をあげた。
「お前なんか研修が終わり次第、この病院から追放してやる!」
鈴木が声を荒らげた相手の青年の名は水村海太。消化器内科の入局を表明している研修医の若者だが、その希望の診療科をローテーション中に上司から大目玉を食らうことになった。
彼が責め立てられる理由は、医療アクシデントを起こしたからというわけではない。ただ、患者のひとりから猛烈なクレームを受けたからだ。その理由は――。
「研修医の分際で腕に彫り物なんかしやがって!」
「まあまあ、鈴木先生。彼にも言い分があるかもしれません。まずは腰をかけて、落ち着いて話しましょう」
青年に助け舟を出して鈴木をなだめたのは、この相談室の室長であり、医療弁護士である西成仁だった。
「くっ、西成先生がそうおっしゃるなら、言い訳ぐらいは聞きますよ。許すかどうかは別として、ですが」
腹の虫がおさまりそうにない鈴木だったが、西成に諭されれば口を噤ぐしかない。叱責を止め、ソファーに深々と腰を沈めた。
西成は青年に向かいあって座り、穏やかな口調で話し始める。
「水村先生、今回のクレームについて確認させていただきたいと思います。とはいえ、けっして非難するためにお呼びしたわけではありません」
「はい……」
事の発端は院内のルール変更にあった。数日前に白衣の着用義務が緩和され、「スクラブ」と呼ばれる医療用作業衣での業務が許可されたのだ。
「スクラブ」は半袖で動きやすく、頻繁に洗濯できるため清潔である。また、カラーバリエーションが豊富で職種を区別しやすい。多くの医療ドラマで「スクラブ」が採用されたことで、「医療従事者は白一択」という固定観念を持つ執行部もようやく折れた。
けれど軽装になったせいで、いままで白衣に隠されていた左上腕の絵が姿を現したのだ。
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