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23.秘密の協力者
「お嬢様、失礼いたします」
眠っていた。
その言葉で、気が付いた。
卒業パーティーから公爵家へ帰った後、半分気絶するように寝ていた。
「おはようございます」
そうだ。
卒業パーティーが終わった。
寮を出て、公爵家に帰ってきた。
ベッドから起き上がると、綺麗に飾られたトリテレイアの花束が目に入った。
それは、確かに生きていて。
今までの、落ちた花を押し花にするだけではない。
確かにそこには、トリテレイアが咲いていた。
『あなたが好きです』
彼の真っ直ぐな言葉が耳に残っている。
思わず顔に集まる熱に、そっと手を添えた。
「お嬢様、公爵様と小公爵様がお呼びです」
「……わかったわ。支度を済ませたら行きますと伝えて」
「かしこまりました」
メイドたちに身支度を手伝ってもらい、軽く朝食を済ませる。
そして、父と兄が待つ書斎へ向かった。
「お父様、レティシアです。失礼いたします」
そう告げて、扉を開ける。
「おはよう、レティ」
兄がいつもの微笑みを向ける。
「おはようございます」
父と兄にそれぞれ挨拶した。
「座って。話があるんだ」
書斎のソファに座らせられた。
「疲れは取れたかい?昨日はいろいろあったからね」
「大丈夫です」
不思議と、昨日のような強い倦怠感はなかった。
それどころか、どこかふわふわと浮ついたような気持ち。
「昨日のことだけど、近々王命裁判が開かれることになったよ。国王陛下のご命令で、きちんと調査されるからね」
兄の言葉に、コクンと頷く。
「わかりました」
その真っ直ぐな目に、兄も目を細めた。
「それと……」
ふと、兄の顔がくもった。
何かあったのかと、レティシアは首をかしげる。
「エデルガルド小公爵のことだけど……」
その名前を聞いた瞬間、一瞬だけ、顔に意識が向いた。
しかし、すぐに逸らす。
この感情は、なぜか、誰にも知られてはいけない、と思った。
「さっきね、正式に縁談が来たんだ」
両手を強く握りしめ、すっと父の顔を見た。
「いつの間に知り合っていたんだい?」
いつ、と答えればいいだろう。
あの手紙のことは、今も秘密にしている。
言葉を探していると、
「学園で知り合ったの?」
と続けて質問される。
これも答えられない。
「縁談を申し込まれる理由に心当たりはある?」
「……あると言えばありますし、ないと言えばありません」
「……曖昧な答えだね」
あの手紙によって育まれた恋心だとはわかっているが、どうして彼が手紙をくれたのかまではわかっていない。
「じゃあ、この縁談、どうしようか」
相手は王弟の息子、公爵家の嫡男。
家柄としても悪くはない。
だから、レティシアに任せるということだろう。
念のため、と、父の顔を見てみる。
兄を止めるつもりはないようだ。
「……お受けしてください」
それなら、と頷いた。
「でも、レティは……」
王太子との婚約を破棄したばかり。
ここでまた他の誰かと婚約すれば、どんな噂がたつかわからない。
「大丈夫です。筆頭公爵家の娘がこの年で婚約していないのも、問題でしょう」
「義務感だけなら、気にしなくていいよ。王命裁判が開かれれば、殿下の罪も明らかになるんだ」
王太子の罪が暴かれれば、レティシアに非がないことが明らかになる。
既に社交界の噂になっているくらいだ。
「だったら、なおさらです」
レティシアは真っ直ぐな目で兄を見据えた。
「王太子殿下が廃嫡されれば、間違いなくエデルガルド小公爵はこの国の根幹にかかわるお方になるでしょう。王太子殿下の許婚者として教育されたわたくしなら、お支えすることができるはずです」
「……レティ」
父を説得するための言葉は、いくらでも浮かんでくる。
しかし、兄の声は、優しく、それでいて諭すように強かった。
「僕は、レティの気持ちを知りたいな」
気持ち?そう言われて、心の奥底に押し隠したものを覗き見る。
「責任感が強いのはいいことだ。でも、レティはこれまで、王太子殿下のために尽くしてきたんだ。だから、これからは、ゆっくりしてほしいかな。レティが心から愛せる人と一緒になってほしい。僕も父上も、そう思っているよ」
兄はともかく、父は本当にそう思っているのだろうか。
アークヴィースト公爵家の娘として、王家のより深くに関わることこそ、求められているのではないか。
「だったら」
既に会ってもない人間に恋心が芽生えているなど、言っても信じてはもらえない。
それなら、と口を開く。
「一度エデルガルド小公爵様とお会いしてお話してみたいと思います」
一度会えば、父と兄を納得させられる。
そしてレティシアも、いろいろ聞きたいことを聞ける。
「わかった。場をもうけよう」
兄が頷いてくれたことに、ホッとした。
それから間もなく、彼がアークヴィースト公爵邸へ来た。
王弟が当主であるエデルガルド公爵家が相手ではあるが、身分はアークヴィースト公爵家の方が上。代々国を支えてきた筆頭公爵家だから、というのが理由だ。
その身分差はあいまいで微妙なところで、レティシアは自分からエデルガルド公爵家に出向くと言った。しかし、兄に説得されて彼を呼ぶことになった。
「アークヴィースト公爵令嬢、お招きいただき、ありがとうございます」
彼は相変わらずトリテレイアの花束を抱えて、洗練された紳士のお辞儀をしてみせた。
「トリテレイアがお好きなのですか?」
「好きですよ。あなたに贈り続けたおかげで、好きになりました」
真っ直ぐな笑顔。レティシアよりも2歳上とは思えない、少年のような笑顔に、彼女は目を奪われる。
「家紋の花というのもありますが」
「素敵なお花です。わたしも好きになりました」
最初から目印にしてくれていたのだろうか。
レティシアに気づいてほしい、と。
聞きたいことも、話したいことも、たくさんある。
「こちらへ」
レティシアは応接間に彼を通した。
大きなソファに向かいあうように座り、メイドたちを下がらせる。
部屋の扉は開けたままにしておくように言った。
「エデルガルド小公爵様」
「テオドリック」
「……ぇ」
「そうお呼びください」
そんなことを言われても、レティシアが呼べるわけがない。
「小公爵様」
「アハハッ、だよね。できればテオって呼んでほしかったけど」
からかうのが上手い、とでも言うのだろうか。
「では、レティシア嬢とお呼びしても?」
「そ、それは……」
たじたじになるレティシアは、彼の顔を見て察した。
遊ばれているらしい。
あまりいい気はしないはずなのに、どこかこそばゆいような感覚に陥る。
「冗談です。あまり困らせてはいけませんね」
楽しそうに笑う少年のような姿に、レティシアも眉尻を下げた笑顔を見せた。
「いくつかお聞きしても?」
「えぇ、もちろん」
彼は快く頷いてくれた。
「わたしを助けてくださったのは、どうしてですか?」
「僕は何もしていませんよ」
「助けてくださったのです。あのお手紙のおかげで、わたしは無事に卒業でき
たのですから」
あの手紙がなかった世界線を、レティシアは夢の中で知っている。
卒業パーティーの後、レティシアが自らの命を絶つ世界線を。
それを避けることができたのは、間違いなくあの手紙の主が、彼が支えてくれたからだ。
「手紙は……あなたを助けたいと思って」
「なぜです?お会いしたこともないと思っておりましたが」
「幼い頃、会ったことがあるのです。もう覚えていらっしゃらないと思いますが」
そう言われて、レティシアは記憶をたどってみる。
幼い頃も、夢の中も、彼に会った記憶はない。
「王宮でただすれ違っただけですよ。覚えていなくて当然かと」
「すれ違った、だけ……?」
「その時、あなたはおそらく王太子殿下との茶会の後で、お顔が暗かった」
幼い頃、王太子と会った後のこと。
幼いながらもいい関係だとは思えなくて、王宮に呼ばれるたびに憂鬱な気分になった。
教育の過程で感情を隠す方法を学び、上手く感情を隠せるようになるまで。
それまでの間に会ったのだとしたら、記憶になくても仕方がないかもしれない。
「王宮の庭に咲いていた花を見て、その花の上を舞う蝶を見て、あなたは笑ったのです」
まったく覚えていない。
あの日々は、花を見ることで癒されていた。
「その笑顔に、幼いながら目を奪われまして。従弟の許婚者だとわかってからは、あなたが困った時、王太子妃殿下を支えられる人間になろうと思ってきました」
ずっと、ずっと昔。
レティシアも覚えていない頃から、彼はレティシアを思ってくれていたらしい。
「従弟の許婚者から解放された今、僕はもう我慢しなくていいんだって思ってね。こうして堂々と、君に結婚を申し込ませていただきました」
愛し愛され結ばれるなんて、諦めていた。
筆頭公爵家に生まれた者として、結婚は望まれてするもの。
愛されるなんて、愛するなんて、自分には縁遠いものだと。
それが今、彼はレティシアを愛し、レティシアも彼を……。
断る理由なんてなかった。
問題は、父と兄を説得できるかどうかだけ。
「レティシア様」
そう呼ばれて、さっと顔を上げた。
「僕は、いつまでも待っています。待つのには慣れましたから」
その言葉には、どこか含みがあった。
もう何年も、何十年も待っていたかのような、そんな言葉のように聞こえた。
「あなたの準備ができた頃に、お返事をください」
優しい笑みに、レティシアは安心できた。
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