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発 端
その年の晩春の夕暮れ、ほぼ同じ時刻、異なる場所で侍が二人、息を引き取った。
一体は、ちょうど名古屋城の西の森へ続く脇道で仰向けに倒れていた。
備中浪人、木村某であった。
なぜ姓が判明したかといえば、三日前、市中見廻りの市井方役人が誰何したおりにそのように答えていたからである。
もう一体は、ほんの二か月前まで尾張藩馬廻役を勤めていた青年、小野寺弥右衛門であった。御城の北、沼沢池をぐるりとまわった湿地で、眉間を縦割りに斬られ倒れていた。
ところが、不可思議なことに、木村某の遺体のそばに投げ捨てられていた短刀は、つねづね小野寺弥右衛門が自慢していた家宝の逸品で、日頃、かれが脇差として着用していたものであった。
そのことは検屍にあたった役人、長谷川多聞がしかと確認している。かれは小野寺弥右衛門とは幼馴染みで、日頃もなにかと会う機会が多かったからである。
「さりとて不思議なことがあるものだ」
多聞が不審をおぼえたのは、あたかも小野寺と木村のふたりが真剣勝負の果てに相倒れしたふうに見えながらも、それぞれの遺体はじつに半里(約2km)ほど離れていたのである。
「……まずは小野寺の遺族に報せねばなるまいが、仏には無作法に過ぎるが、しばらくはこのまま遺体は預り、安置しておいたほうがいいやも……」
かれはそう思い、門衛に指示をした。
多聞があえて上役への報告を遅らせたのも、心友の死の謎を是非にも明らかにせねばと誓ったからであった。
「そうだ、野十郎はどこにおる? ここしばらく姿を見せぬようだが……」
「はい……やー様ならば、夢柊庵に逗留されておられるよし」
「やー様? とな? おいおい、なんというあだ名だ」
野十郎が尾張に来てまだ三月にも経たない。なのにひとは誰とはなしに〈やさぐれ〉と呼んでいる。それでもときに〈やーどの〉〈やさぐれどの〉と敬称付きで呼ばれることがあったのは、この尾張藩剣術指南役、柳生兵庫助が拾い、さながら柳生家の小姓のごとく遇していたからであった。
いまでは往来の商い人までもが、「やーさん」「やーさま」などと呼びならわしているらしかった。
通り名が多いのは、それだけ周りから関心を持たれている証なのだろうが、天涯孤独、孤高の剣客を標榜して余りないこの少年、野十郎には、「やーどの」は似つかわしくない。多聞はそうおもい、かつ、じわじわと笑いが込み上げてくるのを押し留めるに躍起になった。
「いかん、いかん、友が喪くなったとうに……」
多聞は自らを戒め、
「あのやさぐれに相談したき事がある……やつを見かけたらそのように伝えてくれ」
と、下女にも申し置いた。
そもそも多聞はそれほど、野十郎のことは知らない。上役の護衛として大坂表に赴いたおり、天満八軒家界隈でたむろしていた野十郎と出会い、そのまま尾張に連れてきたという経緯がある。
野十郎は、いわゆる主無し、家無し、嫁無しの三無の流浪人である。
とはいえ、まだ少年といったほうがいいかもしれない。
年の頃は十代半ば。この時代、本人の年齢というのはそれほど価値判断の基準にはならない。まして、柳生兵庫助が拾った以上、だれもがとやかく口は出せないのだった。
いずれにせよ、多聞が二体の屍体を検分所に保管したその咄嗟の判断が功を奏したのか、それとも新たな禍をもたらしたのか、事件発覚の二日後、目付役宅を訪ねてきた一人の巨漢があった。
見るからに武芸者風体で、月代を剃らない総髪、紐のない陣羽織り姿は、誰の目にも他所者と映ったであろう。
ところが着ているものはまだ珍しい絹仕立てらしく、旅支度とはいえ相当の金主を抱えているのか、それともどこかの藩から遣わされ来たる使者なのか……かれ、長谷川多聞には見極めがつかなかった。
まずは腰を低くして姓と用向きをたずねた。
「……それがし、目付補佐を相務めます、長谷川多聞と申します。卒爾ながら、そこもとのご尊名を承りたい」
多聞が精一杯の虚勢を張りつつ訊ねると、目の前の巨漢は、ちらりと青年を一瞥すると、唇をへの字に曲げてみせた。
とはいえ、嘲りと侮りの表情ではない。
そのことだけは多聞にも伝わったのだが、感得したことがない気の発散に躰の深奥が撃たれた畏れを押しとどめるさいに足許が震えた。
古来、武者震いと呼称されてきたものと同種のものであったろう。
「うっ……」
無意識のうちに多聞の口からことばにならない叫びが洩れていた。
「お手前……」
応えたのは、巨漢のほうであった。自らの姓名を明かしたのちに、一言、
「まずは、もそっと、やわらいだほうがいい……」
と、言った。
「は……? み、みやもと……武蔵……どの?」
新陰流を修びはじめたばかりの多聞は、宮本武蔵の名だけは聴き及んでいた。
初心者ほど、諸国の剣の遣い手たちの動向には敏感になる。一流の者ほど、他の武芸者にはあまり関心は示さない……ことを、剣の師匠、兵庫助から教わったばかりである。なんとなれば、剣の道を究めるのは、他者との勝負の回数ではなく、おのれとの勝負に尽きる、というのが、師、柳生兵庫助の教えなのだった。
なんだか禅問答のようで、なんとも初心者の長谷川多聞にはまだ理解できていなかったが、
(まさか、わが師と勝負するためにこの地に足を踏み入れたというのか……?)
と、察したのはゆえなきことではなかった。
「し、失礼つかまつりました……」
やっとの思いでそれだけ応えた多聞には、目の前の武蔵がこの尾張の地に突然出現してしまった疫病神のようにおもえてならなかった……。
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