続・不 審

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続・不 審

めが、まるで武蔵の門人になりおったがごとく、入りびたっております」  長谷川多聞が不審顔を柳生兵庫助に向けた。武蔵と野十郎の二人のやりとりは、密偵役の多惠(たえ)から逐一、報告されている。それが兵庫助に伝わっていることを知った上でも、いまだ多聞は兵庫助が武蔵を尾張の地に置いたままにしておく意図をはかりかねていた。 「……先生は、武蔵と仕合(しあ)われぬのでございますか?」 「ん……! 野十郎からも、多惠からも同じことを()かれたぞ。ふふ、野十郎によれば、の、今ならば、わしが勝てるそうだぞ」 「な、なんと? めがそのようなふざけたことを……!」 「ふふふ……さすがに野十郎じゃわい、深層の(ことわり)というものを見抜いておる」 「は? 合点がゆきませぬ。今ならば勝てる……とは、先生をなぶっているようなものでございましょう? お叱りにはならないのですか?」 「ふふ、ま、しばし様子見(ようすみ)をするにこしたことはあるまい」 「ですが、事件の糾明は?」 「すでに……(かみ)に報告する内容は決めておる」  (かみ)とは、尾張藩公のことであったろう。 「な、ならば、先生は、もう犯人を浮き止められたのでございますか?」 「……ま、そう先走ることはあるまいよ。むしろ、わしが案じておるのは、宮本武蔵……と(あい)前後して、領内に潜入したる忍びの者どもの動向……」  ……兵庫助が意外なことをつぶやいた。  長谷川多聞には意味はわからない。けれど、見かけぬ行商人や仕官先を訪ね歩く浪人が最近とみに増えてきたのも事実である。 「やつらは……おそらくが放った隠密であろうよ」  兵庫助はいう。〈江戸〉とは、幕閣(ばっかく)のことであろう。昨年四月、家康が逝去(せいきょ)したとき、幕府が最も警戒したのは、豊臣ゆかりの大名や浪人どもの叛逆(はんぎゃく)であった。かれらがかりに尾張徳川家や加賀前田家を旗頭(はたがしら)(かつ)ぎ上げでもすれば、とうてい勝ち目はなかったからである。幸いにしてそのときはさしたる騒動は起こらなかったものの、いまなお江戸方(えどがた)が尾張の動向を探らずにはおられなかったのも、もっともな道理というものであったろう。  つまり、叔父である江戸の柳生宗矩(むねのり)は、いまの兵庫助にとっては最も恐るべき敵ともいえた。  兵庫助は長谷川多聞には軽挙妄動を戒め、不審者の監視のみに(とど)め、こちらからは一切武蔵には手を出さないようにと指示を出した。  ……その頃、野十郎はやたらに多惠(たえ)が尾張にたどり着く前の過去を()いてくるのにうんざりしつつも、 「武蔵さまが気にしてるのか?」 と、頬に笑窪を(たた)えてかわした。 「あら……知っていたの。でも、頼まれたわけではないの。わたくしもそのことを知りたいとずっと思ってきたことだから」  いまだに少年にとっては年齢不詳の多惠は、姉のような、ときに母のような近しさがある。対手(あいて)を自然とそういう気持ちにさせてしまうのが、どうやら多惠(たえ)の技でもあるらしかった。 「おれの……」  それでも野十郎はよどむことなく答えてやる。嘘か真実(まこと)かは多惠にも確かめようがないはずである。 「……父は、もと、備中代官、小堀(こぼり)政一(まさかず)……という方らしい。母は出雲(いずも)多羅尾崎(たらおざき)一族の出で……」  滔々(とうとう)と野十郎は身の上話を続ける。備中に流れ着いた母は、代官とねんごろになってみごもったとき、備前岡山に追いやられそこで過ごした。小堀家から大枚の金子を与えられ、住む家も手配してくれたから飢え死にすることなく暮らすことができた。物心ついた頃から、母より多羅尾崎家に代々つたえられきた出雲古剣と武闘の基本を教わった……という。ちなみに、小堀政一は、のちに遠江守(とおとうみのかみ)となり、小堀遠州(えんしゅう)の名で茶道、礼法、築城、作庭などの名匠として歴史にその名を(とど)めることになる。 「……七歳のとき、預けられた鞍馬で書と古武術を(なら)った。ところが、岡山に残してきた母は、小堀家から(つか)わされていた附け人に殺され、財貨も奪われたと聴いた。……それで、多羅尾崎一族の者たちとともに、母の(かたき)の消息を探り、その一人がついに尾張徳川家に仕官したことを突き止めた……」  ……だからたまたま大坂の天満で所用中の長谷川多聞と出会ったのを幸い、ついてきた……と、野十郎は淡々と語った。とくに曇った表情をあらわすことなく喋り続ける野十郎の姿は、多惠にはむしろ異様にさえ映った。 「……尾張徳川家に仕官……というのは、ま、まさか、亡くなられた小野寺様のことでは?」 「いやちがうぞ。もう一人の……浪人のほうだ」 「ええっ……? いま、藩に仕官した、と申したばかり、ではありませんか!」 「だから、表向きは浪人として飼い殺しにしていたのではないか? おれはそうおもう」  裏仕官……と呼べばいいのか、どうやら藩の重臣の一人が木村を雇い入れたらしかった。そのことを短期間で野十郎がつかむことができたのは、おそらく野十郎の周りには、多羅尾崎一族の者が見守っていたのであったろう。それを察した多惠は、ぞっと躰を震わせた。柳生の目をかい潜って水面下で動いているのは無気味というほかはない。  また、過去のあらましは、(しゅ)の柳生兵庫助にも告げているのか、いないのか……それも多惠にはわからない。まして、結果的には、木村の死亡により、野十郎の母の(かたき)討ちの一つなりとも果たされたことになる。  とすれば、木村を(たお)したのは、目の前の少年なのだろうか。そのことに思い至った多惠はまだざわいつた気がおさまらないでいた。 「で、では、小野寺様はなにゆえ殺されてしまったのでしょう? それがわかりませぬ。しかも、屍体を離れて置き去るとは……? まさか、それにもあなたが関わっていたのですか?」 「さあ、それは……」  と、意味ありげにことばを濁した野十郎は、別なことを口に出した。 「……おそらく、小野寺さまは、木村の正体を見破ったのではないか。木村を雇った藩の重臣が、なにか良からぬことを企て、それを阻止しようと小野寺さまが調べていた……と、そんなところかな」 「まあ、見てきたようにそんな細かいことまでよくもまあ白々しく……」 「いやあるいは、備前あたりで小野寺さまと木村のふたりは顔見知っていた仲であったのかもしれない……なあ」 「はあ……?」    低いがよく通る野十郎の声は、外で聞き耳を立てていた武蔵の耳にもはっきりと届いた。いやむしろ、武蔵がすぐ近くに居ることを承知の上で、あえて野十郎は喋ってみせたにちがいなかった……。
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