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10.止まないで
振り返ると、こちらを見つめている彼と目が合った。
「木月は、優しいね」
「は……?」
優しいわけがない。優しくなんてない。
「僕は先輩に振り向いてほしかっただけですよ。傷ついてる先輩なら僕の気持ちを知っても無下にしない気がして。それだけです」
「いや、木月は優しいよ」
密やかに笑って彼は静かにうなだれる。垂れ下がった前髪が揺れた。
「本気で怒ってくれた」
だめなのはわかっている。でもこんな風に言われたら期待してしまう。
「そういう言い方されたら、勘違いします」
ふっと空気が揺らぐ。彼は再びゆっくりと唇を引き結んでから……かぶりを振った。
「ごめん。俺は多分、木月の求める風にはお前を好きになれない。ごめん」
硬い声で。それでも声の芯にしっかりと労りが含まれた拒絶に、スバルは細く息を吐く。
変な言い訳もせず、きっぱりと断ってくれる。こんな人だから。こんな人だから、自分は。
「雨、ひどいな」
泣くまいと思っていたのに滲んでしまった涙を俯くことで彼から隠したとき、雨音に紛れるように彼が言った。
「天気予報だともうすぐ止むはずなんだけどな。空、明るくなってきたし、もうすぐ、かな」
この人の声は、なんでこうも染みるのだろう。
「先輩」
なんでこうも容赦なく、古代の壁画みたいに、心の奥にあなたを刻んでいくのだろう。
望みはもう絶たれているのに。それなのに、どうしても。
離れたくなくなってしまう。
なんて……愚かだ。
「だめなら、いいんです。断ってください」
「なに?」
雨が落ちる窓辺を見つめながら彼が問い返す。あえての軽い口調で。
「今だけ、そばにいって、いいですか」
彼は背中を向けたままだ。雨音だけが室内の空気を薄闇のような静寂に溶かしていく。
「いいよ」
やっぱり軽い口調で彼は言う。先輩が後輩に言うあっさりとした声音だった。
そろそろと彼の傍に歩み寄る。彼が座る長椅子にそうっと腰を下ろすと、年代物のそれはぎしり、と軋んだ。
「木月、そんな端っこに座ったら落ちる」
そろそろと視線を彼に向けると、彼は困ったように目を逸らす。
「なにを言っても木月は楽にならない。それはわかってるけど、俺はうれしかったから。木月が怒ってくれたこと。だから、今日は遠慮しなくていい」
隙だらけで。人のことばっかりで。
残酷で。
それでもスバルはこの人の申し出を利用してしまう。
「少しだけもたれてもいい、ですか。この雨が上がるまで」
祈るように言うと、細い吐息の後、声が返ってきた。
「……いいよ。雨が上がるまで」
彼がそっと長椅子の上、こちらに腰を滑らせる。その彼にスバルもそうっと体を近づける。恐る恐る頭を乗せた彼の肩は見た目よりずっとしっかりしていた。この人の新しい一面を感じて喜ぶ一方で、ああ、でももうこんな風にもたれることは許されないのか、と悟る。
さらさらと窓を流れる雨。
今も湿った服が気持ち悪い。それでもスバルは願った。
どうか雨よ、やまないで、と。
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