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くまのくうちゃん
「お姉ちゃん、これサオにちょうだい」
妹は、昔から私のものをなんでも欲しがった。
お気に入りの赤いリボン、ショートケーキにのった一粒の苺、そして、大切な“くうちゃん”。
くうちゃんは私の相棒だ。赤ちゃんの頃から隣にいた、焦げ茶色のクマのぬいぐるみ。
ちょっと困ったような下がり眉毛がチャームポイントの、優しい顔をしたクマさん。
私は彼が大好きで、何よりも大切で、どんな時も一緒だった。
妹の沙織が生まれてからは、余計にくうちゃんだけが私の拠り所だった。
沙織は生まれてすぐに大きな病気を患い、一度生死を彷徨ってからというもの、両親は沙織のことを奇跡のように尊く崇め可愛がった。
今なら両親の気持ちがわかる。
生きているだけで幸せで、何をしても可愛い。
沙織は家族の中で一番大切な存在になった。
「薫はお姉ちゃんなんだから我慢して」
そんなふうに叱られることも多かった。
風邪一つ滅多にひかない、特に優秀でも落ちこぼれでもない平凡な私は、いつしか家族の中で当たり前の存在となり、沙織を見守る為の一要員として見なされていたのだった。
「お姉ちゃん、サオのこと好き?」
「大好きだよ」
本当は、沙織のことが嫌いだった。
両親の愛情を独り占めし、天真爛漫に全てを手にする彼女のことが。
「じゃあさ、」
それは恐れに近かったのかもしれない。
「じゃあ、くうちゃんちょうだい」
満面の笑みで懇願する沙織。
私の大切なものを根こそぎ奪っていく彼女が怖い。
「くうちゃんは……」
くうちゃんだけはだめ。
どんなに寂しい時も、くうちゃんだけは味方になってくれる私の大切な家族だから。
「お願い! ちょうだい!」
「だめ……」
「ちょうだい! ちょうだい! ちょうだい!」
沙織の「ちょうだい」が、頭の中でガンガン響く。
ついに痺れを切らしたのか、沙織はくうちゃんの右腕を掴み引っ張った。
「やめて!」
私は左腕を引っ張る。
くうちゃんだけは渡さない。
そんな気持ちが込み上げて、くうちゃんの腕を力いっぱい握り締めた。
だけど。
「痛い」と声を出す代わりに、プツッと糸が切れる音がした。
くうちゃんが泣いているような気がして、私は慌てて手を離す。
「やったぁ!」
沙織は嬉しそうにくうちゃんを抱き締めた。
「くうちゃんは、今日からサオのお友達!」
放心状態で沙織とくうちゃんを見つめる。
「ありがとうお姉ちゃん!」
パッと花が咲いたような、愛らしい沙織の笑顔。
「良かったわねえ、沙織ちゃん」
「ちゃんとありがとう言えて偉いね」
両親は穏やかな眼差しで沙織を眺めていた。
絶望した私は、もう涙も出てこない。
────くうちゃんがいなくなったのは、それからすぐのこと。
「ごめんね、お姉ちゃん。くうちゃん、お散歩中にいなくなっちゃった」
沙織が川に落としたらしかった。
その後すぐに探しに行ったけれど、くうちゃんはどこにもいない。
「くうちゃん、水遊びがしたかったんだって」
私のくうちゃんは、もう二度と戻ってこなかった。
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