第三話

1/11
前へ
/215ページ
次へ

第三話

 ────黒煙(こくえん)のような雲が流れ、白い月が姿を現す。  夜半、春蘭の部屋から漏れる明かりを庭先で紫苑は眺めていた。 「本当に大丈夫なのですか? お嬢さま……」  室内では春蘭が、芙蓉の手伝いを得ながら医女の装いに着替えているところだった。  扮装に際し、紫苑の用意した衣である。  その腰紐を結びながら案ずるように眉を下げた芙蓉に、こともなげに笑い返す。 「大丈夫よ! うちは広いから、抜け出してもお父さまにバレる可能性は低いし」 「そ、そういうことではなくて」 「分かってる、うまくやるわ」  雪や塩のごとく真っ白な医女服に身を包み、得意気に言ってのける。  明朗(めいろう)な姿は頼もしい限りだが、それで不安が晴れるわけではない。 「でも、もし出かけたことをお父さまに勘づかれそうになったら、何とか誤魔化しといてくれる? お願い」 「……はい。それくらいでしたら」  そう答えながら、最後に白い髪紐を結んでやる。  鏡台(きょうだい)の前から立ち上がった春蘭を確かめた。装いは完璧に医女である。  扉を開けると、待っていた紫苑が一礼した。  その手を借りながら(くつ)を履き、春蘭も庭へ下りる。  しだれ桜から舞い落ちた花びらが絨毯のように地面を染め、池には花筏(はないかだ)が漂っていた。  門の方へ向かうふたりを芙蓉は套廊(とうろう)から見送る。  紫苑は(はい)した剣の(さや)を握り、春蘭に目をやった。 「宮殿までお供します」 「ひとりで大丈夫よ。その方が目立たないでしょ?」 「だめです。夜道にお嬢さまひとり放り出せると思いますか」  宮廷へ潜入するというくらいなのだから、軒車ではなく徒歩で向かうことになる。  昼間の暴動を目の当たりにした以上、尚さらたったひとりで歩かせるわけにはいかない。 「だけど……」 「本当は宮中まで付き添いたいところなのですが……。あ、いっそ門番を昏倒(こんとう)させてしまうのはどうでしょうか」  さらりとものものしい提案をする。  春蘭は目を見張った。 「まさかその衣を拝借(はいしゃく)して成り代わる気?」 「ええ、それもありますが……手形が偽だとバレたら厄介なことになります」  袖口から取り出した通行手形を見やり、紫苑は眉を寄せる。  “それも”などと言っているが、実のところそちらの理由の方に重心が偏っているように思える。 「心配しすぎよ、紫苑も芙蓉も。この格好なら手形なしでも宮門を突破できそうなくらいだわ」  彼の手から手形を取り、春蘭は言う。  気づけば宮門前の大路(おおじ)にさしかかっていた。ふたりは一旦足を止める。
/215ページ

最初のコメントを投稿しよう!

27人が本棚に入れています
本棚に追加