第三話

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「では、お嬢さま……。わたしはここで待っていますから、何かあったら大声で呼んでください。すぐに駆けつけます」  たとえば力の限り叫んだところで、宮殿の壁は高すぎて、決して声が届くことはないだろう。そういう場所なのだ。  春蘭はそう思ったが、思うだけに留まった。紫苑に頷き笑いかける。 「ええ、ありがとう。行ってくる」      ◇  特に門衛(もんえい)(いぶか)しがられることなく宮廷へ入り込むことに成功した春蘭は、さっそく尚薬局(しょうやくきょく)を目指して歩き出す。  薬材の管理はもちろん、王や王族に対する医療行為を担当している官庁であり、今回の目的にうってつけだ。  宮中の見取り図には疎かったが、訪れた偶然に救われた。同じ格好をした医女を見かけたのだ。  気づかれないよう密かにあとをつける。  彼女が“尚薬局”という扁額(へんがく)の掲げられた小門を潜っていったのを見届けると、そろりと春蘭も同じようにした。  刻限(こくげん)のお陰か人手は少なく、忍び込んだことが露呈(ろてい)しそうな気配はいまのところない。 (薬材保管庫は……)  きょろきょろとあたりを見回すと、屋舎の隣にひと回りほど小さな倉を見つけた。  慎重に歩を進め、戸の(かんぬき)を外す。  きぃ、と軋んだ音を立てながら左右に開き、するりと身を滑り込ませた。  行灯(あんどん)を片手に棚や引き出しを見て回る。 「ん……」  どの薬箱も薬材で満たされていて、確かに不足している様子はなかった。  とはいえ、あり余っている気配もない。 「独占するために買い占めてる、って感じじゃないわね」  やはりあの触れ文の信ぴょう性はかなり低いといったところだろうか。  あの役人たちは何だったのだろう?  怪訝(けげん)な気持ちが高まる中、春蘭は暴徒化した民たちの切羽詰まった嘆きを思い出した。 「…………」  一瞬躊躇ったものの、箱に手を伸ばす。  (ふところ)から取り出した手巾(しゅきん)を広げ、薬材を適当に包んでいく。  この程度ではあまりに微量で、彼らにとっては援助とも呼べないだろう。焼け石に水だ。  それでも昼間に見た光景は鮮烈で、いまも耳元で怒声や泣き声が聞こえるほどだった。  ここまで来たからには、手ぶらで帰ることなどできない。 (あの触れ文はやっぱり嘘だったって……この目で見たいまなら言いきれる)  毅然と口端を結んだ春蘭は手巾を折りたたみ、袖の中へと忍ばせる。  入ったとき以上に周囲を警戒しながら、静かに倉の外へ出た。
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