第一話

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 泣きそうなほど不安気な面持ちで尋ねられる。  少女は強く頷いてみせた。 「もちろんよ」  彼はしかし、ますます不安そうに瞳を揺らがせる。  いまの彼に信じられるものは数少なく、形のない言葉は、ただ(うれ)いを誘うだけだった。  すっと立ち上がると、自身の(ころも)につけていた佩玉(はいぎょく)を外し、少女に差し出す。  龍の宝飾(ほうしょく)と、鮮やかな紺青(こんじょう)色の(ふさ)。  金色の龍は、玻璃でできた玉を手にしている。 「うけとってくれ。約束の証だ」 「だけど……」  こんなに大事そうなもの、いいのだろうか。  少女の躊躇(ちゅうちょ)を察した彼は、その手を取るとそっと飾りを握らせた。 「これはわたしの大切なものだ。ここで待っているゆえ……かならず返しにきてくれ」  一生懸命考えた、再び会うための口実を口にする。  実際にはほかのどんな佩玉とも大差のないものだったが、たったいま“約束の証”としての価値が生まれた。  飾りを両手で包み込んだ少女は顔を上げ、柔らかく微笑んだ。 「わかった。約束するわ」      ◇ 「……さま、お嬢さま」  囁くような微かな声が鼓膜を揺らし、春蘭(しゅんらん)はうっすらと目を開ける。  丸窓からそよそよと風が入り込み、あたたかく柔らかい日差しが揺れていた。  はら、と舞い込んだ桜の花びらが、膝の上で開きっぱなしになっていた書物(しょもつ)の上に落ちる。 「あれ……」 「お疲れですか? 桂花(けいか)茶をお持ちしましたよ」  侍女の芙蓉(ふよう)は小さく笑いながら、手にしていた盆を卓子(たくし)の上に載せた。  あくびをしながら長椅子から起き上がった春蘭は、こと、と目の前に置かれた茶杯(ちゃはい)を手に取る。  ふわりと甘い香りが漂う茶には、小さな黄色の花が浮かんでいる。 「ありがとう。あったかくて心地いいから、うっかり寝落ちしちゃってたみたい」  肩をすくめて笑い、桂花茶を含んだ。  そのとき、戸の向こう側から声をかけられる。 「お嬢さま」  聞き慣れた紫苑の声だった。春蘭が答えると、静かに部屋へと入ってくる。  すらりと背が高い上に眉目秀麗(びもくしゅうれい)である彼は、上品な文人といった雰囲気だが、いつも帯刀(たいとう)していた。  春蘭の用心棒であり執事でもある紫苑は、彼女が生まれる前からこの屋敷に仕えている。  緩やかな微笑みをたたえながら口を開いた。 「お出かけの時間です」
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