第5話 わたしはやっていない(2)

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第5話 わたしはやっていない(2)

 いつものようにニニスの部屋を掃除して、それから屋敷内の掃除に取り掛かっている時に、少女は家政婦長に呼ばれた。 「ビアンカお嬢様がお呼びよ。今日は奥様のお部屋に商人を呼んでいるから、お手伝いをしてあげて」 「かしこまりました」  少女は掃除道具を片付けて、ニニスの部屋に向かう。  ニニスとビアンカは月に何度か、出入りの商人を屋敷に呼んで買い物をするが、その手伝いは必ずしも楽なものではなかった。 (試着のお手伝いをしたり、買ったものを整理したり、それ自体は難しくないのだけれど)  少女はそっとため息をつく。  ノックをしてニニスの部屋に入ると、テーブルの上からソファの上まで、所狭しと広げられた小物と、色とりどりの果物のように色鮮やかな宝石が並んでいた。 「『雑草』、呼ばれるまで、あんたは壁際に立ってなさい。邪魔をしたら許さないわよ」  少女の方を振り向きもせず、ビアンカが言い放った。 「はい、お嬢様」  少女はそろりと移動して、言われたとおり、壁の前に立つ。  ニニスのお気に入りの商人が、次々に煌びやかな宝飾品をテーブルの上に広げていく。 (……わたしが悔しがると思って、ビアンカはわざと部屋に呼んだのね)  買い物を見せつける必要なんてないのに、と少女は思った。  豪華な宝石も、可愛らしいバッグも、少女には何の意味もないのだから。  そんなものよりも。 (お腹がすいたなぁ。あのパン、食べられたら、よかったのに……)  少女が考えているのは、朝食の席での、床に落とされたパンだった。  いつも空腹を抱えている少女には、床に落ちたパンの方が、宝石よりよほど大切なのだった。  その時、それまで商人と話し込んでいたニニスが、すっと立ち上がると、ずらりと並べられた宝飾品の中から、赤い宝石の付いた小さなブローチを取った。  その様子を見ていた少女は、一瞬、ニニスとビアンカの視線が交わって、離れたように、思った。  何か違和感を感じた、次の瞬間だった。  ニニスは無言で少女に近づくと、笑顔で少女の右手にブローチを握らせる。 「何を……?」  少女が困惑してニニスを見上げると、ニニスは、ニヤリと笑った。  赤い紅を差した唇が、ひゅっと弧を描いた。 「『雑草』、何てことをしているの? ブローチを盗むなんて、許されないことよ! さあ、返しなさい!!」  ニニスの大声に、少女の顔が一気に青ざめる。  部屋にいる人々の目が、一斉に少女に向かった。 「あ……」  小さな手に握らされたブローチを、少女は見つめた。 (「申し訳ございません、奥様」、じゃない!」)  さすがの少女にも、ニニスの悪意は明らかだった。  罪を認めては、いけない。  だって、わたしは何もやっていないのだから。  少女の体が震え始めた。  いつか、こんな場面にいたことがあるような気がする。 (怖い、怖い。でも……こ、声を上げなければ、認めたことになってしまう)  少女はじりっと、壁沿いに動いて、ニニスから離れた。 『わたしはやっていません』  ただ、そう言えばいい。  しかし、震える少女の口から、言葉を出すことはできなかった。  少女は絶望した表情をすると、ブローチを放り出すようにしてテーブルに置き、後ろを見ることなく、サロンを飛び出した。 「『雑草』、待ちなさいっ!!!」  怒りに満ちたニニスの声が聞こえた。  それでも、少女は走り続けた。
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