元彼

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冷蔵庫に中途半端な野菜の切れ端がたくさん残っていたなと思いだし、今日の献立はマグロ丼と豚汁にしようと決めた。 スーパーで冷凍ではない生マグロをブロックで買った。あとは日本酒も購入。 定時になったら即退社してきたから、スーパーがまだ開いている時間に帰宅できた。 職場で嫌なことがあった日は、自分の好きな物を好きなだけ食べる。 北海道に住んでいて一番良かったなと思うのは、安くて新鮮な食材が手に入るということだ。 最近は女性客をターゲットに、少量で味わえる日本酒が店頭に置いてある。 ありがたい世の中なことに感謝。 綺麗な瓶に入った小さな日本酒を買った。ピンク色だった。 少し気分も良くなり帰路を急ぐ。 マンションの入り口にたどり着いた時、身に覚えのある背格好の男性を発見した。 外見だけは紳士の貴司さんだった。 最悪な事に花束を持っている。 ……ああ、面倒な事になりそうだ。 「久しぶりだね、明里」 彼は花束を差し出した。 「いりませんし、突然押しかけてこられても迷惑ですので」 私はそう言ってそのままマンションに入ろうとした。 彼は勿論、それを阻止しようとする。 ちょっと待てよと、私の腕を掴んだ。 「ちょ……放して」 腕を振り払おうとしたのに、彼はしっかり掴んで強引に引き寄せようとする。 「それね、暴行罪になる。私に触れない方がいいわよ」 「話がしたいだけだ。アポイントを取ろうにも君は連絡を無視しているだろう」 話をするにしても今日は嫌だ。 上司にもいろいろ言われて、まともに話し合える気がしないし、マグロも早く冷蔵庫に入れたい。 「もう済んだことですので、話す必要はありません。つきまとい、待ち伏せ、押し掛け、うろつきなどはストーカー行為にあたります。一年以下の懲役または百万円以下の罰金です」 「話をしようと言っているだけだ。君はすぐにそうやって法に訴えると言うけれどそんな事じゃないんだ」 「迷惑なので帰って下さい」 「入り口だと目立つから、とりあえず家に入れてくれ」 は?あり得ない。 貴司さんは私の腕を取って、マンションのエントランスに入ってこようとする。 相手に触るのは駄目だ。貴司さんは何を考えているんだろう。 ここにはカメラもあるし、私が無理やり連れて行かれそうになっている姿も録画される。 その時、私たちの後ろから聞き覚えのある声がした。 「ちょっと、まずいですね。警察呼びましょうか?」 ちょうどマンションに帰って来た門脇君だった。 「だ、誰ですか!関係ない人は……」 貴司さんは他人に声をかけられて焦ったのか、私から手を放した。 「嫌がってる女性を無理やり連れ込もうとしているのは犯罪です」 彼は貴司さんの腕を捻りあげるように掴み上げた。 「呼んで下さい!警察」 「放せ!違う、そんなんじゃない!」 貴司さんは彼の手を振りほどくと一目散に走って逃げていった。 私は彼の後ろ姿を目で追いながら、ほっと安堵のため息をついた。 「ごめん。ありがとう」 「元恋人は社会的地位もある奴だろう。警察に注意してもらえば、もう待ち伏せはないと思うけど。通報しようか」 警察を呼んでと言ったのは、彼に対する牽制だ。 「ああ……大丈夫。彼は話がしたいって言ってただけだから。私がスマホの連絡先ブロックしてるから多分怒ってるんだと思う。あとでこっちからメッセージ送る」 大げさにするほどの事じゃない。 話し合う機会を与えなかったから、彼はここで待ち伏せしたんだ。 「分かった」 門脇君は私の買い物袋を持ってくれた。 「こんなところばかり見られるね。本当にご迷惑をおかけします」 「……」 なんだか、タイミング良くというか悪くというか。 「あのさ、冗談じゃなく。危険じゃないかあの男。待ち伏せしてるわけだし、家も職場も知られてるんだろう」 門脇君は真剣な顔で私に忠告してくれた。門脇君にはちゃんと説明しておいたほうがいいだろう。 私は貴司さんとの関係を話した。 「彼とは、上司の紹介で付き合ったの。半年くらいかな。でも、恋人関係というよりは、ただのお友達状態が続いてた感じ。お互い仕事が忙しくてめったに会ってなかったし、逆にお付き合いしてましたっけくらいの距離感だった。家に入れた事はない。だから私に執着している意味が分からない。結婚を考えていると言っていたけど、私はそのつもりはない」 門脇君は『そうか』と頷く。仕事帰りで疲れているのに面倒な事に巻き込んでしまった。 「後で連絡しようと思ってたんだけど、救助の時の映像、編集が終わったから観てもらいたい。データで送れないから直接確認してもらいたい」 エレベーターのボタンを押しながら私に話した。 国の機関だから、映像を圧縮して送ってもらうわけにはいかないようだ。 「タブレットに入ってるから直接確認してくれる?今持って帰ってるんだけど」 門脇君は自分のリックに視線を向けた。 「分かった。部屋で確認する」 「このままいい?」 「うん。寄ってくれる?」 「わかった」 買物袋を持って、門脇君は私の部屋の前まで来てくれた。 外で見るのは何だし、門脇君には中に入ってもらった。 私はすぐに確認すると言った。
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