現場検証

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もちろん、貴司さんは私を放置して一人で帰っていった。 問題ない。スマホがあるんだからタクシーくらいすぐに呼べる。 おひとり様バンザイだわ。 やけにスッキリした気分だった。 もし貴司さんが今後、執拗に接触してくるようなら、速やかに警察に事情を相談すると告げるつもりだ。 脅迫罪、強要罪、恐喝罪、業務妨害罪等の刑法上の各種犯罪や、ストーカー行為に該当していると考えられるときには、即時の介入を求める。 自分が弁護士でよかったと、これほどまでに思った事はないわ。 彼も自分の思い通りにならない女はいらないだろう。 さっさとどこぞのお嬢様でも捕まえて結婚したらいい。 金と顔があるんだから、若干、性格に難があったとしてもすぐに恋人は見つかるでしょう。 そんなことを考えながら海保を後にした。 私はそもそも恋愛に向いてない人間なんだろう。 貴司さんを紹介された時は、彼のバックにある経営者一族という肩書と、見た目と、性格も問題がないようだったので付き合う事に決めた。 どのみち私はこの先、誰かと恋に落ちる事なんてないと思っていた。 結婚する相手も、誰でも良いと考えていたのかもしれない。 いつかは結婚はしなければならないと思っていた。 実家の両親がずっと独身だと心配するだろう。 まだ二十七歳なのに、いい人はいないのかと電話がかかってくる。 そのうちお見合いの話を持ってくるだろう。 両親は老後の面倒を見てもらいたいと思っている。 自分の知り合いや、近所の人の子供なんかを紹介してきそうだった。 両親がの傍にいてもらいたいのは、三人兄妹の中でも私だ。 高校生の時、私は一人で祖父の介護を引き受けていた。 両親は私の事を家族思いの面倒見の良い子で、介護や家事も喜んでしてくれる優しい子だと思っている。 親は共働きで忙しかったし、姉と兄は家を出ていた。 ヤングケアラー状態だったにもかかわらず、私はそれを文句も言わずにやり遂げた。 私は一人で祖父の最期を看取った。 家に一人しかいなかった。びくびくと痙攣し、死んでいく祖父の隣で、何もできずにずっと座ってみていた。 救急車をすぐに呼ばなかった自分を責めた。 それからしばらくの間、何とも言い難い罪悪感を背負って生活していた。 どうしようもない気持ちを消化する事ができなかった。 十代の頃の強烈な記憶だ。 そして、私のその気持ちに付き添ってくれたのが門脇君だった。 当時、海上保安官になりたいと彼は言っていた。 夢がかなったんだと思った。 「おめでとう。門脇君」 海保の建物を振り返って、私はそう呟いた。 ちょうどタクシーがきたから、ありがとうございますと言って乗り込む。 門脇君は結婚しているだろうか。 あれから十年も経っている。彼は私の事を忘れているようだった。 まさか私を救助したのが彼だとは思わなかった。 救難隊は海猿と言われて、海保の中でもエリートだと聞く。 凄いなと感心した。 高校生の頃、私は彼のことが好きだった。けれど門脇君には後輩の彼女がいた。 だから多分、彼は私に告白してくれたけど二股だったのだろう。 そんな人ではないと思いたかったけど、当時の彼女から私の彼を取らないでとお願いされた。 面倒ごとに巻き込まれたくないと言って私は身を引いた。 卒業まで口をきいてないし、彼がその後、彼女とどうなったのかは詳しくは分からない。けど、私のせいで別れたとかだったら嫌だなと思っていた。 「十年か……」 長い年月は、あの記憶を忘却の彼方へと押しやってしまったのだろう。 彼が同じ北海道にいた事に驚いた。けれど今まで同じ地域に住んでいて顔を合せなかったんだから、今後彼に会う事もないだろうと思った。 バンザイじゃん。
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