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番外編
「クラウス、難しい顔をしてどうしたんですか?」
ある日、一緒にお茶でもしようとクラウスの執務室にやって来たルイーゼは、書類を片手に頬杖をつきながら悩ましげな表情を浮かべる夫を見て首を傾げた。
「何か大変な問題でもあったんですか?」
「いや、大したことではないんだが……」
ルイーゼが口ごもるクラウスの手から書類を取り上げ、文面に目を通す。
「……あら、来月の孤児院慰問の公務の件ですか?」
「ああ。孤児院の生活環境や子供たちの健康状態を実際の目で見て、今後の政策にも活かしたいと思っている」
「それは素晴らしいですね。でも、あんなに険しい顔をして、何か懸念でもあるんですか? はっ、まさか、悪徳院長が寄付金を横取りして私腹を肥やしているとか……?」
「いや、院長は愛情深い人格者と評判の人物のようだ」
「……それは失礼しました。ちょっと想像力が暴走したようです。──でも、それでは何故そんな表情を?」
ルイーゼがさらに首を傾げると、クラウスが気まずそうに目を逸らした。
「……小さな子供たちとどう接したらいいのか分からなくてな」
ぽつりとこぼしたクラウスのまさかの懸念に、ルイーゼはぱちぱちと瞬いた。
「子供は嫌いではないが、何をしたら喜ぶのか想像もつかない」
なんでも淡々と迷いなく決断を下すクラウスが、こんなに可愛らしいことで悩んでいるなんて……と、ルイーゼは胸がむず痒くなるのを感じた。
「クラウス、大丈夫ですよ。小さい子なら肩車をしてあげたり、鬼ごっこをして一緒に遊んであげたら、みんな楽しいと思います」
「そういうものか……?」
「はい。あとは、お土産に本やおもちゃやお菓子もたくさん持っていってあげましょう。きっと大喜びですよ」
「……そうだな」
「ふふ、私も子供たちに楽しんでもらえそうなことを考えてみますね!」
「ああ、そうしてもらえると助かる」
そうして心配事が片付いたクラウスは見るからにほっとした表情になり、ルイーゼが手ずから淹れた紅茶を美味しそうに味わうのだった。
◇◇◇
それからあっという間に時が過ぎ、ついに孤児院への慰問の日。
ルイーゼとクラウスは馬車に揺られ、城下町の外れにあるブルーメ孤児院へと向かっていた。
「クラウス、今日は大丈夫そうですか?」
「ああ、問題ない。ルイーゼの言ったとおり、今日は体を使って遊ぶつもりだ」
「ふふ、それは楽しみです」
大抵の高貴な男性は自ら子供たちと一緒に走り回って遊んだりなどしないように思うが、クラウスはルイーゼの言ったことを素直に取り入れるつもりらしい。こうやって何事も頭から拒否することなく付き合ってくれるところが本当に好きだと、ルイーゼは思う。
「……ところで、あの荷物は何なんだ?」
馬車の後ろを指差しながら、クラウスが尋ねてきた。ルイーゼが孤児院へのお土産とは別に後続の荷馬車に積み込んだ荷物が気になっているらしい。
「ああ、あれは子供たちに楽しんでもらうためのものです。クラウスもきっとビックリすると思うので、楽しみにしていてくださいね!」
「あ、ああ……」
一抹の不安を感じつつクラウスがうなずくと、ちょうど目的地の孤児院へと到着した。
「けっこう年季の入った建物ですね」
「ああ、むかし民宿だった建物でだいぶ古いらしい。修繕が必要な箇所も多いようだ」
「あ、たしかに色んなところに応急処置のあとが……」
見れば、くすんだ臙脂色の屋根は何箇所か木の板で補強され、割れた窓ガラスは新聞紙を張って塞がれていた。今はまだ暖かな気候だからいいが、どちらも冬が来るまでには直しておきたいところだ。
孤児院の門をくぐると、白髪の優しげな女性と大勢の子供たちが出迎えてくれた。まだ三歳くらいのあどけない幼子から、思春期くらいの年齢の子までさまざまだ。
「国王陛下ならびに王妃殿下、本日はこのような場所に足をお運びいただいて誠にありがとうございます」
「へーか、おーひさま、いらっしゃいませ!」
「今日はありがとうございます!」
「みんなで楽しみにしてました!」
孤児院の院長と思われる女性が挨拶をすると、続けて子供たちが可愛らしい声で我先にと話し始めてとても賑やかだ。
「みんな、はじめまして。こんなに可愛らしいお出迎えをありがとう。今日はいっぱい遊びましょうね。お土産もたくさん持ってきたのよ」
ルイーゼが笑顔で返事をすると、子供たちから大きな歓声が上がった。
「わ〜! 嬉しいです!」
「ねえ、お土産だって! 何だろう?」
「へーか、おーひさま、ありがとう!」
子供たちの弾けるような笑顔を前に、ルイーゼとクラウスは顔を見合わせて微笑んだ。
それから子供たちはルイーゼとクラウスの手を引いて、孤児院の中をいろいろと案内してくれた。建物の中は、今日の慰問に備えてか、意外と小綺麗に片付けられていた。ただ、パッと目についただけでも、台所の食器の多くが少し欠けていたり、昼食用に作っていたスープの具が明らかに少なかったり、庭に干してあった子供たちの服がツギハギだらけだったり、至るところに貧しさが感じられた。
(やっぱり資金が足りていないんだ……。一時的に援助するのは簡単だけれど、もっと根本的に解決できる方法はないかな……)
ルイーゼが頭を悩ませていると、最年少の男の子が天使のような微笑みを浮かべながらルイーゼの足元にとてとてと駆け寄ってきた。
「へーか、おーひさま、いっしょにあそぼ?」
「うっ……」
幼子のあまりの愛らしさに、ルイーゼは思わず胸を押さえながらよろめく。
「おーひさま、だいじょうぶ? いたいいたい?」
心配そうにルイーゼを見上げる男の子に、ルイーゼはさらに打ちのめされそうになったが、これ以上心配を掛けてはいけないので何とか持ちこたえた。
「……ううん、全然大丈夫よ! よーし、みんなで一緒に遊びましょうか!」
「うん! やったあ!」
ルイーゼがクラウスと子供たちを連れて孤児院の庭に出ると、すぐに鬼ごっこが始まった。大騒ぎしながら逃げ回る年少の子供たちを、ルイーゼとクラウスが年長の子供たちと一緒に追いかける。鬼ごっこに慣れているちびっ子を捕まえるのは、なかなか大変だった。あと一歩のところでひらりと避けられてしまうのだ。
クラウスのほうはどうだろうとルイーゼが様子を見てみると、案外余裕な表情を浮かべている。手足のリーチが長いので、やろうと思えば簡単に子供たちを捕まえられそうだったが、ほどよく手加減をしながら相手をしているようだった。捕まえた子をそのまま肩車してやるので、途中からは自らクラウスに捕まりにいく子供が続出していた。
(ふふっ、クラウスってば将来はいいお父さんになりそう──って、違う違う、気が早い……!)
冷静に考えたらルイーゼとクラウスは正真正銘、紛うことなき夫婦なのだから何も違うことはないのだが、ルイーゼは何故かとてつもない恥ずかしさに襲われてブンブンと頭を振った。
「ルイーゼ、大丈夫か? 顔が真っ赤だが、走りすぎて疲れたか?」
いつの間にかすぐ近くに来ていたクラウスが、心配そうにルイーゼの顔をのぞき込む。
「ひゃっ! だ、大丈夫です何でもありません気にしないでください」
ルイーゼが早口で返事をすると、クラウスがルイーゼの頬を伝っていた汗を優しく指で拭った。
「ルイーゼは部屋で少し休んでいるといい。子供たちの相手は俺に任せておけ」
「クラウス……!」
少し前まで子供たちとの接し方が分からないと悩んでいたとは思えないほどのクラウスの殊勝な発言に感動しつつ、ルイーゼはお言葉に甘えて子供たちの相手をしばらく頼むことにした。特に疲れている訳ではなかったが、この間にやっておきたいことがあったのだ。
「では、少しの間お願いできますか? あとで声を掛けるので、子供たちを連れて来てくださいね」
「ああ、分かった」
そうしてクラウスと子供たちが庭で遊んでいる間、ルイーゼはあるものの準備を進めることにした。
「ハンナ、あれを準備するわよ!」
「かしこまりました。すぐにお持ちいたします」
◇◇◇
そして15分後。支度を終えたルイーゼはクラウスと子供たちをホールに呼び寄せた。
暖炉の前に、先ほどまではなかった舞台のようなものが設置されており、その上に立つルイーゼは何故か真っ黒なシルクハットをかぶっている。
「これなぁに? 何が始まるの?」
「紙芝居とかかな?」
騒めく子供たちを前に、ルイーゼはコホンと勿体ぶったような咳払いを一つする。
「ご来席の皆様に、これから奇跡をお見せしましょう」
「えっ、奇跡?」
「どういうこと?」
ホールに集まった誰もがこれから何が始まるのか予想もつかず、期待と戸惑いの入り混じった目でルイーゼを見つめる。事前に何も聞かされていなかったクラウスも、戸惑い多めの眼差しを送っている。
ホールにいる全員の注目を浴びる中、ルイーゼはかぶっていたシルクハットをおもむろに手に取ると、観客である子供たちの目の前でくるくると回して見せた。
「こちらのシルクハット、タネも仕掛けもございませんね?」
「うん、ふつうのぼうしだよ〜」
「これがどうなるの?」
子供たちの合いの手を満足そうに聞きながら、ルイーゼがどこからか取り出したシルクのハンカチをヒラヒラとなびかせる。
「一瞬ですから、目を逸らさずによーくご覧くださいね。3、2……」
子供たちが固唾を飲んで見守る中、ルイーゼがシルクハットにハンカチを被せる。
「──1!」
最後の掛け声と同時にハンカチを掲げると、空っぽだったはずのシルクハットの中から真っ白な一羽の鳩が飛び出してきた。大きな翼をバサバサと羽ばたかせてルイーゼの手のひらに着地する。
「ハト!? なんで!?」
「さっきは何にも入ってなかったのに……!」
「……!?」
目を丸くして驚く子供たちとクラウスを、ルイーゼが満足げに眺める。助手役のハンナがシルクハットと鳩を回収すると、ルイーゼはまた新たな手品を披露し始めた。
ビリビリに破いた紙幣が元に戻ったり、硬貨がガラスのコップを貫通したり、子供たちに絵を描いてもらった紙切れがレモンの中から出てきたり、目の前で繰り広げられる摩訶不思議な光景に、子供たちの目は釘付けだった。
「──さて、いよいよ最後の奇跡となります。……陛下、お手伝いをお願いできますか?」
「あ、ああ、分かった」
ルイーゼに名指しされたクラウスが前へと進み出る。
「こちらの台の上に横になってください」
促されるままクラウスが横になると、ルイーゼが台の上に敷いてあった綺麗な布でクラウスの体を包み込む。
これから自分の身に何が起こるのかと若干緊張した面持ちのクラウスだったが、ルイーゼが「信じてください」と囁いて笑顔でうなずくと、覚悟を決めたように目を閉じた。
そして、ルイーゼの手品にすっかり魅入られてしまった子供たちが息をひそめて見守る中、ルイーゼのカウントダウンが始まった。
「──3、2、1!」
その瞬間、布に包まれたクラウスの体がふわりと宙に浮き上がった。
「浮いた! 陛下が浮いた!」
「なんでぇ〜!?」
「おーひさま、しゅごい!」
子供たちから今日一番の歓声が上がる。ルイーゼは満面の笑顔でそれに応えると、クラウスを台の上に降ろし、その手を取って立ち上がらせた。
「皆様、ありがとうございました! ご協力くださった陛下に大きな拍手をお願いします!」
ルイーゼが両手を広げて挨拶すると、すぐに割れんばかりの拍手が沸き起こり、孤児院のホールは熱狂に包まれた。そのまま子供たちが舞台のほうへ駆け寄ってきて、ルイーゼはもみくちゃにされる。
「うわっ! み、みんな、楽しかった?」
「すっごく楽しかったです!」
「王妃様、すごい! 絵本に出てくる魔法使いみたい!」
「どうやったらあんなことができるの?」
「俺もやってみたい! 教えてください!」
大興奮の子供たちに囲まれながら楽しそうに相手をするルイーゼを、クラウスが優しい眼差しで見つめていた。
◇◇◇
「師匠! また来てね!」
「たくさん練習しておくね!」
名残惜しげに手を振る子供たちに見送られながら、ルイーゼとクラウスは馬車に乗り込んで孤児院を後にした。
やり切った達成感でいっぱいのルイーゼが、隣に腰掛けるクラウスに上機嫌で話しかける。
「クラウス、今日はお疲れ様でした!」
「ルイーゼこそ、いろいろ凄かったな……。あれも前世で覚えた技なのか?」
「はい、近所の奇術サークルで少々……」
「なるほど……。でも、仕掛けを教えてしまってよかったのか?」
「はい、いいんです。子供たちの役に立てばいいなと思って」
「そうか」
「──私も頑張りましたけど、クラウスも頑張ってましたね。子供たちとちゃんと遊べたじゃないですか」
ルイーゼがふざけて偉い偉いと頭を撫でる真似をすると、クラウスがふっと柔らかな笑いを漏らした。
「ああ、自分でも驚いた。俺でも子供の相手ができるんだな」
「そうですよ。子供たちも楽しそうでしたよ。みんな可愛かったですね」
ルイーゼが愛らしい子供たちの姿を思い返して微笑むと、クラウスがルイーゼの髪をそっと撫でて囁いた。
「子供たちに囲まれているルイーゼを見たら、子沢山の家庭も悪くないなと思ったよ」
「こっ、子だくさん……!?」
突然の話の飛躍にルイーゼが驚いて肩を跳ねさせる。
「俺とルイーゼの子供は可愛いだろうな」
「きっ、ききき気が早いのでは……!」
真っ赤になって俯きながらそう答えるルイーゼを、クラウスが愛おしそうに見つめ、優しく肩を抱き寄せる。
「まあ、もうしばらくは二人きりの時間を楽しむとしようか」
「…………」
赤い顔のまま固まっていたルイーゼは、返事をする代わりにクラウスの肩にこてんと頭を預けた。
それから数か月後、孤児院は「ブルーメ奇術団」を立ち上げ、子供たちによる前代未聞の斬新な奇術ショーで人気を博した。公演のチケットは毎回すぐに完売し、この売り上げは孤児院経営の大きな追い風になったという。
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