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7. ルイーゼ、馬をねだる
「陛下、私、自分の馬が欲しいです」
朝食の時間、ルイーゼは真っ先にそう切り出した。
クラウスが面食らったような顔をしながら返事をする。
「……乗れるのか?」
「はい、心得はあります」
「──釣りの次は馬か……」
「え?」
「いや、何でもない。では、後で一緒に厩へ行くか」
「ありがとうございます! お願いします」
意外にもすんなりと受け入れてもらえたことに、ルイーゼが笑顔でお礼を言うと、クラウスは気まずそうに目を逸らして朝食をとり始めたのだった。
そうして朝食を済ませた後、クラウスは約束どおりルイーゼを厩へと連れてきてくれた。
「ここにいる馬なら、どれでも気に入った馬を選んで構わない」
「ありがとうございます。みんな毛艶がよくて、丁寧にお世話されているのが分かりますね」
どの馬ものびのびとしていて、ストレスなく飼育されているようだ。
(厩舎に入るのは、前世で通っていた乗馬クラブ以来ね)
久しぶりに嗅ぐ独特の匂いが懐かしい。
前世の乗馬クラブで相棒になって大会で優勝に導いてくれた彼女のように、ここでも素晴らしい子と出会えますように。そう願いながら一頭一頭をじっくりと眺める。
「こちらは一番穏やかな性格の牝馬で、王妃様におすすめです。こちらの牡馬は体格が良すぎて王妃様が乗るには向かないかと……。こちらの牝馬は少々気まぐれなところがありまして……」
クラウスが指示してくれたのか、厩の世話係がやって来てそれぞれの性格について教えてくれた。その説明を聞きながら全頭のチェックを終えると、ルイーゼは目をきらきらと輝かせながらクラウスに告げた。
「陛下、私、運命を感じました……!」
「運命……?」
「はい、あの子を私の馬にしたいです!」
ルイーゼが指差した先には、この厩に一頭だけの美しい芦毛の馬がいた。
「芦毛の牝馬か……。だが、先ほどの世話係の説明では気まぐれな性格だと言われていたが……」
「ええ、ですがそれも含めてこの子の魅力です。筋肉のつき方といい、賢そうな顔つきといい、最高に気に入りました」
どこか前世での相棒を思い出させるその瞳と佇まいを見て、この子しかいないと閃いたのだ。
「名前はついているんですか?」
「いや。この厩の馬はまだ名前をつけていない」
「そうでしたか。それでは私が名付けてもいいですか?」
「ああ、構わない」
「それでは、名前は……」
真っ白な美しい雌の馬。名前はすぐに浮かんできた。
「白雪にします」
「シラユキ……? 変わった名だな」
「真っ白な雪という意味です。この子にぴったりでしょう? これからよろしくね、白雪」
前世の世界の言葉に首を傾げるクラウスは放っておいて、ルイーゼが白雪に挨拶する。白雪はまるでルイーゼに返事を返すかのようにブルブルと鼻を鳴らした。
「この馬もあなたのことを気に入ったようだな」
「嬉しいです。もっと仲良くなりたいので、このあと白雪と練習してきていいですか?」
「それは構わないが……。生憎、俺は仕事で付いていけない。代わりに近衛騎士を一人つけよう」
「そんな、申し訳ないですからお構いなく」
「……王妃の身に何かあってはまずい。練習をするなら必ず騎士のいるときにするように」
そう言ってクラウスは、近衛騎士の中でも馬の扱いに長けた者を選定して、ルイーゼの乗馬練習の見守り役に任命した。
「王妃殿下、オスカーと申します。安全に練習していただけるよう最善を尽くします」
「ありがとうございます。ご面倒をお掛けしますが、よろしくお願いしますね」
オスカーと名乗った青年は、さすが近衛騎士だけあって見目麗しい。
前世の乗馬クラブでは、だいぶ年上のおじさんとしか練習したことがなかったので、同年代でしかも顔のいい男性が見守ってくれると思うと、少し照れてしまう。
そんなことを考えていたせいか、顔が赤らむのを感じてルイーゼが頬に手を当てると、クラウスが妙に不機嫌そうな表情でこちらを見ているのに気がついた。
(やだ、近衛騎士を狙っているとでも思われたかしら)
イケメンに少しときめいてしまったのは事実だが、狙っているだなんてことは断じて無い。自分はそんな肉食女子ではない。
うっかり誤解されて乗馬の練習もなくされてしまったら堪らないので、ルイーゼはさっさと練習に向かうことにした。
「では、さっそく練習してまいります。陛下もお仕事頑張ってくださいね!」
そうしてオスカーを伴って練習場へと向かうルイーゼの後ろ姿を、クラウスは険しい眼差しで見つめるのだった。
◇◇◇
ルイーゼと別れたあと、クラウスは予定通り仕事に励んで……いなかった。
「陛下、本日は執務室ではなく、こちらのお部屋でお仕事をなさるということでよろしいですか?」
侍従が尋ねると、窓の外を眺めていたクラウスがうなずいた。
「ああ、ここに机と書類を運び込んでくれるか」
「かしこまりました」
侍従が退室したあとも、クラウスは窓辺から離れなかった。視線の先には、乗馬服に着替え、白馬にまたがって練習場内を駆けるルイーゼの姿があった。姿勢よく手綱を握り、なかなか様になっている。
「本当に、馬にも乗れるんだな……」
ボートでの釣りもこなした彼女だ。乗馬もできるというのを疑っていたわけではなかったが、実際目の当たりにすると、やはり驚いてしまう。それに前回の人生では、ルイーゼの乗馬姿など一度も見たことがなかったので、やはり不可解極まりない。
また思考の沼に嵌りそうになったところでノックの音が響いた。
「陛下、机を運び入れてもよろしいですか?」
「ああ、頼む」
ちょうどいい。仕事に没頭してルイーゼのことで悩むのは止めにしよう。
ルイーゼのことも、信頼できる近衛騎士に任せているのだから、あとで報告を聞けばいいだけだ。
机と書類が部屋に運び込まれると、クラウスは窓から離れ、本日分の決裁の書類に向き合った。
「前回の人生でも目を通した書類だからな。大して時間は掛からないだろう」
そう高を括っていたクラウスだったが、すぐにその見積もりの甘さを思い知ることになった。
「王妃殿下、すばらしい技術をお持ちですね」
「褒めてくれてありがとう、オスカー卿。嬉しいです!」
「あら、白雪が少しご機嫌斜めかしら」
「飽きてきたのかもしれませんね。少し休憩にして、白雪にはリンゴでも持ってきましょう」
「オスカー卿は気が利きますね! お願いするわ」
開け放っていた窓の外から、ルイーゼとオスカーの楽しそうな声が聞こえてくるたびに気になって、仕事に集中できない。ならばと窓を閉めてみても、それはそれで二人の様子が気になって、窓の外に目を遣ってしまい仕事が手につかないのだ。
(……どうしてこんなに目で追ってしまうのか)
仕事に集中できなくなるほど何かに気を取られるなどということは初めてだった。
そもそも、執務室ではない部屋に机を運び込むなんてことも初めてだ。
自分は、何をやっているのだろうか。
……いや、以前のルイーゼと今のルイーゼがあまりにも違うから、つい気になってしまうだけだ。
近衛騎士のオスカーも優秀ではあるが、相手はこの自分を手にかけたルイーゼだ。どんな手練手管で手玉に取られてしまうか分からない。それを心配しているだけだ。他意はない。
──結局、その後も仕事が捗ることのないまま、クラウスの残業が確定したのだった。
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