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9. 狩猟大会1
ルイーゼは自室のソファに腰掛けながら、美味しいお菓子と紅茶を楽しんでいた。
(うふふ、昨日の遠乗りで頑張ったご褒美に、たくさん食べちゃおっと!)
昨日クラウスと出掛けた遠乗りでは、我ながら完璧なアピールができた、と甘いケーキを頬張りつつルイーゼは振り返る。
クラウスを差し置いて白雪と早駆けし、倒木を華麗なジャンプで飛び越えて見せた瞬間のことを思い出すと、今も胸がうっとりする。
白雪の身体能力が素晴らしいのはもちろんだが、前世で趣味にしていた障害馬術のスキルも役立った。前世の母からしょっちゅう「そんなの習って何の役に立つの。危ないからやめなさい!」なんて言われていたが、まさか転生後に役立つとはさすがの自分も思っていなかった。芸は身を助けるとは、よく言ったものだ。
(クラウスもかなり呆れていたわね)
倒木を飛び越えた後にクラウスのところへと戻ったら、ルイーゼの顔を見るなり額に手を当てて深い溜め息をついたのだ。あれはあまりのお転婆ぶりに相当ショックを受けたに違いない。ぜひそのまま見損ない続けてほしい。
ルイーゼが4個目のケーキに手を伸ばすと、ドアをノックする音が聞こえてきた。
「はい、どなた?」
「……俺だ」
オレオレ詐欺じゃないんだから、ちゃんと名乗りなさいよと思いながらも、クラウスの声のようなのでルイーゼは立ち上がって出迎える。
「……食事中だったか、すまない」
「いえいえ。それで、何か御用ですか?」
クラウスにソファを勧め、侍女にクラウスの分のお茶の用意を頼んでから、ルイーゼが尋ねる。
「ああ、実は数週間後の狩猟大会のことで話があってな」
「狩猟大会……」
数週間後に開催予定の狩猟大会は、小説にも出てきたイベントだ。最初は先王の喪中なのに殺生なんてしていいの? と驚いたが、一応きちんと理由はあるらしい。
武力で成り上がって出来たこの国は、戦と狩猟の神をシンボルとして祀っているのだが、その神の加護を得るために、毎年狩猟大会を開催して神の御業を讃え、その日に狩った一番立派な獲物を捧げるのだそうだ。
つまりは神事なので喪中でも執り行う必要があるのだ。
(そういえば、狩猟大会のころからルイーゼのアンネリエへの嫌がらせが過激化していったのよね)
たしか、ルイーゼがまた使用人を脅して、狩猟大会の最中に正妃用の椅子に座って待機していたアンネリエの頭上へ向けて矢を放ったのだ。それまで武器を使うような嫌がらせはしていなかったのに、急に物騒な手段に出てきたので驚いた記憶がある。
「陛下も狩猟に参加されるんですよね」
「ああ、しきたりだからな」
「頑張ってくださいね。応援しています」
「あなたも狩猟に参加するんだろう?」
クラウスが用意された紅茶を一口飲み、さも当然のことのようにルイーゼに尋ねる。
「いえ、弓の心得はありませんので」
「えっ」
「えっ」
驚いたように目を丸くして見つめてくるクラウスを、ルイーゼも同じような表情で見つめる。
「いや、そんなに驚かれることですか?」
「ああ、すまない……。てっきり弓も扱えるものだと思っていて……」
一体クラウスは自分のことを何だと思っているのだろうか。ルイーゼは心外に思ったが、それだけ突拍子もない女だという印象付けができているということかもしれない。良い傾向である。ここはもう少し押すのがいいかもしれない。
「でも、そうですね。たしかに弓にも興味はあります。よろしければ、当日は私も陛下の狩りについていってもいいですか?」
「……足場の悪い場所を歩き回るが平気か?」
「大丈夫です。動きやすい格好で行きますから」
「……分かった。くれぐれも足手まといにはならないように」
「はい、気をつけます!」
その後、ルイーゼはクラウスの前でさらに3個のケーキを食べ、甘いものが苦手だと言うクラウスの顔をしかめさせると、(これでまた好感度ダウンだわ!)と一人喜びながら、通算7個目のケーキに舌鼓を打つのだった。
◇◇◇
そしてあっという間に数週間が過ぎ、いよいよ狩猟大会当日。
会場となる森の入り口には、狩猟大会に参加する貴族や騎士たちが集まっていた。
狩りの前で気分が高揚しているのかガヤガヤと騒めいていたが、国王と王妃の入場を告げる声が聞こえると、さっきまでの喧騒が嘘のように静まり返った。全員がひざまずき、頭を下げて国王と王妃の入場を迎える。
「頭を上げよ」
クラウスの威厳ある声が響く。臣下たちが一斉に立ち上がって顔を上げると、その瞬間、妙な空気が辺りに漂った。
(……なんだか視線を感じるわね)
ルイーゼはクラウス以外の全員の視線が自分に集まっているのを感じて苦笑した。
みんな、ルイーゼの装いに驚いているのだ。
今日のルイーゼは、王妃らしい風格のある伝統的なドレス……ではなく、ところどころに女性らしいモチーフを使いながらも、全体的に動きやすさを重視したパンツスタイルの衣装を纏っていた。クラウスに動きやすい格好でついて行くと約束したので、わざわざオーダーメイドしたのだ。
王家お抱えの工房にオーダーして出来上がった衣装を見たときは胸が躍った。乗馬服よりも女性らしいデザインながら機能性抜群で、着心地もいい。前世ではスカートよりパンツ派だったので、もう普段からずっとこの衣装でいいのではないかと思ってしまう。
(でも、この世界の人たちにはかなり物珍しいみたいね)
戸惑いや好奇の眼差しを一身に受けながら、ルイーゼはクラウスに初めてこの格好を見せたときの反応を思い出す。
一瞬、わずかに目を見開いて……。
『……そういう格好もいいんじゃないか──いや、動きやすさの点でという意味だ』
そんな言葉を口に出した。
クラウスはもっと呆れた顔をするのではないかと思っていたので、予想が外れて少しばかり残念だったが、むしろいい傾向かもしれない。
きっと、もはやこの女には何を言っても無駄だと悟り、放置することにしたのではないだろうか。
(この際、臣下の皆さんにも私の王妃としての適性のなさをアピールしておくか)
そう考えて、ルイーゼが親しげな笑顔で手を振ると、また周囲が騒めき始めた。
「王妃様って、あんな顔で笑うんだ」
「けっこう親しみやすくないか?」
「こういったらアレだけど、スタイル抜群だよな」
至るところから囁き声が聞こえてきたが、クラウスの氷点下のような冷たい視線と声がそれを遮った。
「静粛に。今から狩りを始める」
クラウスが片手を上げると、狩りの開始を告げるラッパの音が高らかに響き渡り、どこからか花火が打ち上がった。
「──さあ、行くぞ」
クラウスの大きな手に引かれて、ルイーゼは森の中へと入っていった。
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