戦の前夜

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戦の前夜

「陛下、お耳に入れたきことが」 「……なんだ」  王の私室、安楽椅子にだらしなく腰かけたままのエーノルメ王は、どこを見ているのか分からない空虚な瞳を動かさないまま気怠げに返事をした。 「エルキュール様の妻、クローディアのことでございます」  王の瞳が少しだけ動いた。  他国から迎える嫁の扱いとしてはかなり雑だったと言うのに、文句ひとつ言えない無能な姫。  彼女に関しての噂は勿論知っているし、国内にろくでもない真実(・・)を吹聴したのは王自身。  それだけではない。あの砦からの決死の脱出の時、何か重要なことがあった気がするのだが……。  国王はぶるっと身震いすると、何もない空間を手で払った。  あの日以来なにかとちらつく亡霊の影がそこにあった気がした。  家臣の報告は続く。 「陛下はクローディアに関してずっと疑いを抱いている部分がございましょう。本日の披露パレードにて、オートリー伯爵に不可解なことがあったことはお伝えしたかと思います」 「それがどうした」 「彼はどうやら幽霊によってとり憑かれていたようでございます。クローディアとエルキュール様が、目に見えぬ何かと話していたと証言している者も幾人もございます」 「……エルキュールも?」 「はい。ただその辺の詳しい事情は分かりませぬ」 「それは……クローディアの噂が真実であった前提でエルキュールも彼女を利用していると言うことか?」  息子はこの婚礼に前向きでなかったはずなのだ。  それでも初夜など目の前で裸の女が転がっていれば健全な男なら問題なく抱くことは出来るだろう。  だからまさか息子が敵国の姫に慣例を無視した配慮をしていたことなど知らない。  二人が実は以前から知り合いで、そして愛し合っているなどとは露ほども思わない。  それに息子は幽霊話などまるで信じていなかった。  だとすれば、彼女の力が本物であることに気づき利用しているのかもしれない。 「申し訳ございません。詳しくは分かりかねます。ただ、お二人は居城でも時折他の者には見えぬ何かと話をしていたとの報告もございます。昨年死の森では実際に陛下も……いえ、失礼いたしました。何にせよ、クローディアが噂通りの力を有している可能性は高いかと」  王が何かを考えこむように目を閉じた。  自分は何か大切なことを忘れている。  森と砦での恐怖の体験で、見落としてはならない何かを……
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