戦の前夜

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「なんでしょう兄上」 「俺がいない間君にはディアの傍にいてあげて欲しい。パレードでの襲撃を見て分かる通り、俺にも彼女にも国内に敵がいないわけではない。姉を守れるか?」  クリスティアンは優しい新緑の目に力を入れキッと見返した。 「当然です」 「よし。それともう一つある。戦局が悪くなったり……万が一、いいか万が一だ。俺が戻らぬようなことがあれば、すぐにでもディアを連れフィルディに戻れ。父が彼女の力を知れば悪用される。知らなくても手厚く扱うようなことはまずないだろう」 「兄上……兄上は戦に出る時はいつもそのようなお覚悟を?」 「そうだ。毎度“俺はここで死ぬ”と腹をくくって立つ。そうでなければ死を恐れ、恐れは人を混乱させ窮地を招く。ここで死ぬと分かっていれば慌てることもない。だが今は俺にも大事な者が出来た。彼女をここエーノルメに残すのには俺とて心配しかない。クリスがいれば俺の憂いも無くなる」  クリスティアンは兄になったばかりの人物を見上げた。  幾度となく戦地に立ち、戦いの恐怖も残酷さも知っている戦士がそこにはいた。  彼は胸に手を当てると、「この命にかけて」とまっすぐに返した。  それを見たエルキュールは頷くと、少々表情を崩し「クリスに死なれても困るがな」と言った。 「君は次期国王。自分の身も、姉の身も守れ。いいな?」 「お任せを。ですが兄上、ひとつだけお願いがございます」 「なんだ。なんでも言ってくれ」 「お戻りになったら、僕にもあの剣舞を教えて下さい」  エルキュールの癖である剣を優雅に振り鞘に収めるあの動き。  クローディアはその動きをかっこいいと言ってくれたが、どうやら姉弟揃って気に入ったらしい。 「いいだろう」  良い弟が出来た。彼はそう思うと破顔し、まだ成長中の弟の肩を叩いた。  アンクレー伯爵にも事情を話し、クローディアにも了承してもらった。  彼女は納得したわけではないが、エルキュールが戦いにくくなるのなら素直に言うことを聞こうと思っただけだった。  本当はクリスティアンとアンクレー伯爵にはすぐに帰ってもらいたい。    傍にいるなんて、どうにもこうにも、エルキュールが帰らなかった時の保険にしか感じないからだ。彼女とて、それくらいのことは想像できた。  逆の立場ならそうしたから。  慌ただしくアンクレー伯爵と別れを告げ、クリスティアンはエルキュールの護衛の服に着替えた。ここから先は“姉上”ではなく“クローディア様”と呼ぶことを徹底する。  そして準備が出来て一時間後、エルキュールに国王からの招集がかかった。    彼は朝一番で王城に戻ることになる。  泣いてはいけない。  泣いたらエルキュールを引き留めることになってしまう。  彼は後方の憂いを断つためにクリスティアンを残したのだ。  めそめそしていては、彼の戦の邪魔をすることになってしまうだろう。  彼は夜遅くまでルブラードと、そして急ぎやって来たカートと何かを話していた。  先に寝ているように言われたが、寝られるわけがない。  寝台の淵に腰をかけたまま、何時間も時計の音を聞いていた。  そして日付が変わる頃になってようやく、エルキュールも寝所に現れた。
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