戦の前夜

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「ディア、寝ていなかったのか」 「こんな時に一人で寝るなんて出来ないの」 「ディア……」  エルキュールも隣に腰を降ろし、冷えたクローディアの体を抱き寄せた。  彼女もぎゅっとその胸に縋り、顔を押し付けている。  涙を堪えているようだった。  少し前は何度もこの胸で押しつぶしそうになり、その度に笑っていたのに。  顔を擦り付けて来るようなその仕草がどこか痛々しくて、愛しくてたまらない。 「エルク……大好きなの」  行かないで、とも怖いとも言えない。  ただ彼を愛しく思うその気持ちだけ伝えた。   「俺も君を愛している。守る者が出来た今戻らない訳にはいかない。死を覚悟することと生きて帰ることを矛盾のように捉える者もいるが、それは違う。死を恐れず無謀に振舞ったり生きることを渇望して臆病になるわけではない。俺は死を覚悟はするが、生にも執着する。だから必ず戻る」 「うん」 「今まで戻って来たからここにいる。戻れなかったのはシャンピーに気絶させられたあの一度だけだ」  重い空気を取り払いたくて、彼はわざと少しだけおどけてそう言った。 「あの時、あなたの魂はとても……魂に対して言うのも変だけど、とても活き活きしていたの。きっとエルクはその体も、魂も、どちらも強いの」  そう言うと彼女は、涙が少し滲んだ顔で笑った。  その頬を撫でる。  少しだけひんやりしていて、柔らかくて、切ない。   「ディア、先に釘を刺しておく。死霊術は使うな。君は砦を攻め込まれた時に一度、冥界に囚われそうになってしまっただろう。あの時戻ることが出来なかったら君はシャンピーと共に旅立つことになっていたかもしれない。だから使うな。安全圏にいるのに君がそんなことになってしまっては、クリスに残ってもらう意味もなくなってしまう」 「でも、幽霊を一体くらいは……」  彼にも香を焚いてもらえば、人には出来ない空からの目にもなる。  危険をより察知しやすいはずだ。 「だめだ。父上は必ず悪用する。今の所は砦での出来事と結びついていないようだが、何かにおわせる節を見れば必ずあの時の死霊兵と君を結び付ける。だから絶対に使うな」  エルキュールはまだこの時点で父王がクローディアの術に気づいていることを知らない。  王もわざわざ反対するであろう息子に言うつもりはない。それどころか息子の命をも利用するつもりでいた。  クローディアは「分かったの」とは返事をしたものの、彼が危うくなるくらいだったら約束を破るかもしれない。
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