心に灯る

3/7
前へ
/150ページ
次へ
「エクレール!」 「この馬は大人しい。そうびくびくせずとも平気だ。後ろに回らなければ蹴られる心配もない」 「でも怖いものは怖いんだもの」 「動く骸骨は平気なのに?」  自分のことを揶揄してそう言うと、クローディアは小さく笑った。  その時馬が急に首を振ったので、驚いたクローディアは思わず後ずさりしてしまった。  その体を骨の巨体が受け止める。 「これは嫌がってるわけじゃない。手を」  エクレールに言われおっかなびっくり手を出すと、彼がそっと握りマロンの方へ差し出してくれる。そしてそのまま温かな鼻面に触ることができた。  彼女の口から安堵の溜息が漏れ、そのまま弧を描いた。  「触れたわ」とでも言うように一度エクレールの顔を見上げると、またマロンの少し固い鼻の毛並みに夢中になった。 「首も触って平気だ。少し前に。俺もいるから大丈夫だ」 「うん……」  勇気を出して少しだけ前に出ると、首の横を一緒に撫でてくれる。  手のひら全体に馬の体温が伝わり、クローディアはまたほっとしたような息を零した。 「ありがとう……一人だと怖くてこんなに触れないの」 「馬に乗るのが下手なのはそういう理由だったのか」 「私やっぱり下手だった? 自覚あるの。落ちちゃいそうな気がしちゃって」 「前に抱えている限り絶対に落とさない。多分シャンピーも落とさない」 「ふふっ、確かに一度も落とされたことはないわ。あ、でも一回だけ、先日逃げる時に一人で行かされて、すぐに落馬しちゃったの。怪我はしなかったけど、痣が……ほら、腕にまだ残ってる!」  彼女は夜着の袖をめくると、直りかけて黄色くなってきた大きな痣を見せた。  若い――多分自分は若かったと思うのだが――男を前に二の腕など晒すものではない。  エクレールは「痛そうだな」と言うとそっと袖を戻してやった。 「痛かったのは後からね。あの時は怖かったから」 「何かから逃げていたのか?」 「うん。エーノルメの王子様に見つかっちゃって、シャンピーが逃がしてくれたの。あの王子様って死の方が逃げるとか怖い噂が多いでしょ。体もおっきくて、ほんとに殺されるかと思ったの。あなたも“野蛮な男”って言ったでしょ」 「話を聞いてそう思っただけだ。しかしその王子、何か引っかかるな」 「何が?」 「いや、何がと言われると分からないのだが……だがそうも勇猛な男ならば、次に出くわした時は是非戦ってみたいものだ」 「あなたも血気盛んよね。もう血はどこにも流れていないのに」  それからクローディアはまたマロンを少し撫で、「あったかいね」と言うと手を離した。  その一言はただ馬の体温を表しただけではないような気がして、エクレールの心に少しばかり切なさが通り過ぎた。
/150ページ

最初のコメントを投稿しよう!

43人が本棚に入れています
本棚に追加