心に灯る

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「記憶喪失とは意味が違うの。思い出しても出さなくても、気にしなくて大丈夫よ。還る時はね、ちゃんとみんな分かるの」  クローディアがマントの隙間から手を出して、上がったままのエクレールの腕を取った。  そのままゆっくり下ろしてやった彼女の手は、所在なさげにさ迷ったあとまたマントの中に引っ込められた。 「どうした?」 「なにが?」 「今何かを探しているような感じがした」 「……うん。手。手がないなって」 「ああ、明日腕になりそうなものを探す」 「……うん……そうだね、あるといいね……」  俯いた彼女の台詞も所在なさげ。探しているものはなんなのだろう。  それを知りたくて彼女の背を支えていた右手を差し出すと、クローディアは笑ってその手を握った。 「うん、ありがとう。エクレールは優しいんだね」  彼女の柔らかく小さな手が、白く固い骨の手を包み込む。  死者であってもエクレールにはその温度がきちんと伝わり、自分と彼女が違う世界の者であるとはっきり認識させた。    そうだった。  クローディアは温もりが欲しくて馬小屋に。  欲しいのは死者の手ではなく、温度のある生者の手だろう。 「悲しいか」 「うん。六人分、あの悪霊ね。六人分それぞれの悲しみをね、全部追体験するの。悲しいことをちゃんと悲しいって受け止めてあげると、憤りとか怒りとかそういうのが消えて、ちゃんと悪霊も自分の悲しみを理解して、それでいなくなるの。今日のは散ってしまったけど」  そう話すと、握っていたエクレールの手を自分の頬に当てた。  彼女が握っていても温かくならない骨の手は、頬を寄せても何も変わることはない。  火にでも突っ込めば多少温度を持てるのかもしれない。それで彼女が「あったかいね」と言うのなら、それが地獄の業火でも構わないと思ってしまった。  もちろんそんな行為に意味はない。  彼女は暖を取りたいのではなく、命を感じたいのだ。  寄せられた頬を、そのまま彼は優しく撫でた。  指先は固く尖っていて、気を付けなければその柔肌に傷をつけてしまう。  細心の注意を払い、ただ慰めたくて頬を、髪を撫でる。  彼女も決してこの手が心地良いわけではないだろうが、慰めていることを理解したのか、そっと目を閉じると剥き出しの肋骨に身を寄せた。 「体温が無い事をこれほど惜しいと思ったことはない」  クローディアは身を寄せたまま視線を上に上げ、「ううん」と言った。  手を肋骨の、心臓があったはずの所へ伸ばす。 「あったかいよ、ここが。エクレールが優しいから、ちゃんと私のここにも届いたよ」  そして満面の笑みになり、「あったかいね」と言った。  ああ。  クローディア。  死者は、生者に恋をするものだろうか。  どうしてありもしない鼓動が速くなり、流れてもいない血が熱くなるのか。 「ああ、あったかいな」  エクレールはそう答えるとまた手綱を絡め、森へと馬を走らせた。  その道中で彼女は安心したのか、いつの間にか寝息をたてていた。
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