一人ぼっちの結婚式

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 私は、相手の顔も知らないまま嫁ぐの……。  でもこれでフィルディが平和でいられるならそれで充分。    嗅ぎ慣れた神聖な香が立ち込める中、彼女は一人そう覚悟を決め静かな祭司の声を聞いていた。     だがそんな祭司が祝福の言葉を告げ、新郎新婦が誓いの口づけを交わす段階になった時。  その新郎不在の式に異を唱える者が一人だけ現れた。 「待たれよ!」  厳かな神殿に突如響いたのは、まるで雷鳴のような声。  背中に受けたその声に、クローディアは一瞬体を縮こまらせた。  死の森では一度暗がりの中で彼と遭遇している。それを知っているのはクローディアの方だけだったが、彼女はあの時「死者を冒涜している」と言われたことを思い出した。  クローディアが振り向けないでいる中、祭司が驚いて視線を上げた先にいたのは、息を切らせて立つ軍服のままのエルキュールだった。 「無礼な……王族と言えどそのような振舞は許されませぬぞ」  祭司が新郎に神聖な場を穢され厳しい言葉を向けるが、エルキュールは静かな怒りを込めて反論した。 「新郎新婦揃って初めて神々に認めて頂くと言うのに、手順を無視して新婦だけ立たせておくなど、そちらの方が無礼であろう!」  王子の言うことは至極まともで、祭司もこんな儀式はやりたくはなかった。ただ王の手前そうしただけなので、王子の反論を受けて黙り込んでしまった。  軍靴の音が背後から近づく。  クローディアが歩いた時に巻かれたハーブが踏まれ、エルキュールの鼻孔にも神殿や王墓くらいでしか嗅いだことのない香の香りが届いた。  いや、他にも何か記憶にひっかかる……  この香りにはもっと、別の思い出がある気がする……    そしてクローディアの隣に立つと、白い薄布に包まれた妻となる姫に詫びた。 「結婚が決まったと言うのに一年もほったらかしにして申し訳なかった。いくら戦があったとは言え、敵国に嫁ぐあなたにはもっと配慮があってしかるべきだったはずだ」 「まずは無事のご帰還、お喜び申し上げます」  砂糖菓子のように甘く愛らしい声だった。  だがそれは震えているかのように揺らいでいる。  きっと怒っているのだ。エルキュールはそう思った。  好き合ったわけではない政略結婚。エルキュールにも思う所があった。本当はどこかにもっと、焦がれる想いを抱いた相手がいたような気がしたのだが……。なぜ存在しない恋人に思いを馳せたのか彼にも分からなかったが、きっと自分もこの結婚には前向きではない気持ちの現れなのだろうと思った。  そしてそれは恐らく目の前の新婦の方が強いだろう。  だから、例え怒っていようとも、義務的な言葉であっても、それが労いの意であることに安心した。嫌味や恨み節であってもおかしくないはずだから。
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