一人ぼっちの結婚式

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「クローディア」 「あったかいの……」  彼はふっと笑うと、「そうか」と答えた。  体温を感じることが、どうやら彼女には大事なことらしい。  そんなものいくらでも与えてやると、柔らかな髪に頬を寄せた。  エルキュール様、あったかいの。  この広い胸も、腕の強さも……あったかくて、安心する……  でもごめんなさい、どうしても思い出しちゃうの。  あなたがそうだったらいいのに。   「安心するのならそのままで聞いてくれ。俺はあなたを大事にしたい。あなたの事を愛しているし、あなたにもいつか同じ想いを抱いて貰えたら嬉しい。今すぐでなくていい。ゆっくりでいいから、俺のことも愛してくれないだろうか。きっとあなたを幸せにすると誓うから」  胸の中に埋もれたクローディアが顔をそっと上げた。  泣きはらして赤い目と、目の下のクマが可哀相に思えた。   「私だけ幸せはだめ。それならエルキュール様も一緒になって欲しいの」 「俺の幸せはあなたが幸せでいることだ。だから俺は自分の幸福追求のためにあなたを全力で幸せにする」  クローディアが目を(しばた)かせる。  まるで私利私欲の追求のような言い方に、ふっと彼女の表情が緩んだ。 「つまりもしあなたが俺に恨みを抱くなら、自ら不幸になるといい。俺はとてつもない絶望を抱くだろう」 「……でも私、不幸と幸福では幸福の方が好きかも」 「ならすまんがこの婚儀に不満を抱き俺を呪うことは出来ないな」 「うん。だってこの腕の中、居心地いいもの。それって幸せなことよね?」  今度はエルキュールの方が驚きに目を見開いた。  自分の腕の中で、既に彼女はささやかな幸せを感じてくれたと言う。 「ああ、だから俺は今気分がいいのか。確かに幸せだな、愛しい者を抱いていられるのは」  彼はそのままの姿勢で改めて彼女の名を呼ぶと、涙で張り付いた髪をよけてやり、頬をそっと撫でた。 「エルクと呼んでくれないか。せめて名前からでも近づきたい。話し方もそれでいい。俺の前では君のままでいて欲しい」 「……エルク様?」 「もっとだ」 「エルク」 「そう。俺も君をディアと呼んでいいか?」 「うん。私、ゆっくりあなたの心に寄り添いたい。だから今日からよろしくなの、エルク」 「ああ、これからずっとよろしく頼む、愛らしいディア」  そしてもう一度彼はぎゅっと愛らしい存在を抱きしめた。  きっと彼女も、今のこの距離感に安心してくれて―― 「んっ……ん-っ!」  ――いないようだった。彼女は腕の中でもがいている。 「んーっ!」 「ディア? ……ああ、すまん!」  力強い腕と厚い筋肉に覆われた胸板は、華奢なクローディアを締め付けてしまったらしい。  慌てて緩めた腕の中で、彼女は水の中から浮上したかのように「ぷはっ」と息をついた。 「はぁ、エルク、あの、もう少しお手柔らかな愛情にしてもらえると……」 「すまん……あ、あまりに愛らしくてつい……」 「ふふっ」  鍛え抜かれた肉体を縮こまらせて謝るエルキュールに、ついに彼女が笑い声を漏らした。 「ふふっ……うふふっ……すごい筋肉なの。これが敵だったと思うと怖いけど、今は私を守ってくれる旦那様なのね」 「あ、ああ……やっと笑ってくれたのだな。やはり笑顔はいい。愛らしい、本当に愛らしい。そうだ。君の剣であり盾となる夫だ。少しは頼もしく思ってくれるか?」  彼女は微笑み、頷いてくれた。    そうだ、その笑みだ。  そうやってころころと笑っているほうが君らしい。  ……らしい? これはいつの記憶だ?  クローディアには時折不思議な既視感を抱くことがある。  それがなんなのか彼には分からなかったが、政略結婚も幸福の方向に向かう気がして、彼も一緒に微笑んだ。  居城までの残りの道のり、彼は少しでも彼女の心に近付きたくて、自分でも驚くほど饒舌にクローディアとの会話が弾んだ。彼女の体は、ずっとエルキュールに寄り添ったままだった。
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