侍女、ドーテ

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   エルキュール王子は敵国の姫にまるで興味がない。  結婚には前向きではない。  周囲は皆そう思っていたし、それは事実だった。  だから仮に結婚してしまったとしても、お互いの結婚生活は破綻していればよかったのだ。  そうすれば双方に父の息のかかった相手を送り付け、愛人とさせる。  エルキュールは興味のない妻より、魅力的な愛人に夢中になり、クローディアは愛してくれない夫より、彼女を持ち上げる男に頼り切りになる……そうなればよかったのだ。  もしくは、誰もクローディアを相手にしないことに嫌気がさし、国に帰ってしまえばいいと。    ところが王子は姫を溺愛してしまった。  姫もまたそれを受け入れつつある。  既にその間に入る余地などない所に、新しい侍女の話。  このままではクビにされてしまう。そうなれば父の命は遂行できない。   「それに焦り、お茶に毒を入れたと?」  またコクっとドーテが頷いた。 「今まで父の言うことを疑いもせず、鵜呑みにしてまいりました。殿下は戦に夢中で、政にはまるで脳がない。敵国の姫に手紙一つ送らないのは、結婚する気のない意志表示だと。そしてクローディア様はエーノルメの事を学ぶ一方で、情報をフィルディに流していると。そんなんではエーノルメは駄目になってしまう。ここは多少強引にでも実力を行使し、一個でも多くの実権を握る他にない……」  しかし傍で見た王子夫妻の様子はまるで違った。  王子に愛はあるし、山のような政務をこなす。  妻は妻で、エーノルメとフィルディの結びつきを強くすることを考えている。  そのためにお互いの歴史を知り、文化を知り、産業を知り……。    日々愛を深める夫婦を前に、今度は父に疑いを持つようになった。  クローディアと話せばボロが出てしまう気がする。  彼女の雰囲気に押され、二人の愛にほだされ、既に城内にクローディアの味方が出来つつあるように、ドーテもそうなってしまうのではと。    だからずっと頑なな態度を崩せなかった。 「何故俺に早く相談しなかった。悪いようにするわけないだろう。俺でなくてもクローディアに直接言えば、彼女なら親身になった上に俺に相談する、そう思わなかったのか」 「父を、父を裏切ることもまた難しかったのでございます……」  ドーテの伏せた赤い絨毯が、ポツポツと色を濃くした。「申し訳ございませんでした、クローディア様」と繰り返す度に、それは面積を広げていった。  それを見たエルキュールが深い溜息をつく。  理由はどうであれエーノルメの王子妃を毒殺しようとした事実は変わらない。 「俺は君にいい印象は皆無だ。正しい判断が下せん。そもそもディア、君も怒りは覚えないのか」 「でも、私さっき悲しくて寂しいって伝えたの」 「殺されかけたんだぞ?」 「でも生きてるの」 「罰を与えたいと思わないのか?」  きょとんとしたように答えていたクローディアが、最後の質問だけすっと表情を消した。 「人の過ちを最後に判断するのは人じゃないの。魂が犯した罪の采配は冥界が下すの……」 「……クローディア?」  冥界と言う言葉に、エルキュールの脳裏に何かの記憶が朧気に浮かんだ。 『彼らの悲しみを肩代わりしてあげるとね、ちゃんと冥界に行けることがあるの』  そう哀しく言った声は、クローディア?  暗い森の中、君は何を思ってそんな哀しい目をしていた?  暗い森……死の森……?  死の森で俺は誰かに……そうだ、少女に出会っていた。  姿はよく分からなかったが、クローディアのような声をしていた気がする。  あの森の少女は骸骨の騎士を連れていた。  その騎士は彼女を守ろうとし、自分に襲いかかっている。  彼女を落馬させた後の記憶が途切れているが、森の中で殺されることはなくエーノルメ兵に保護された。  殺す気は最初からなかったのかもしれない。こんな自分に剣を向けられ、少女の方が身の危機を感じたのでは。    次に目覚めたのは王城。  だがその間に、忘れてはならない大事な何かがあった気がする。  哀しい目のクローディアは、一体どこで見たものだったか。
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