侍女、ドーテ

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「クローディア!」  事態が落ち着き皆寝静まった後の明け方近く。  エルキュールは何か夢でも見たのか、愛妻の名を叫んで飛び起きた。  隣には急な叫び声にうっすら目を開けたクローディアがいた。  エルキュールが慌ててその体を抱きしめる。  異様な雰囲気に、彼女はすっかり目が覚めて事態も分からないまま背中に手を伸ばした。 「どうしたの?」 「よかった、温かい」 「……?」  いつもクローディアがエルキュールに言うような台詞を、今彼は必死に確認するようにして呟いた。 「ディア……君は生きている……」 「うん、そうだよ。エルクもね、あったかいよ」  恐ろしい夢を見た。  夢と言うにはあまりに生々しい。  虚ろな目のクローディアが、冷たい身体のクローディアが、腕の中で死を迎えようとしていた。 『クローディア! 戻ってこい、クローディア!』  必死に叫ぶ自分の声は、いったいいつ言ったものだろう。  夢であるはずなのに、胸が張り裂けそうなほど切実だった。 「エルク、どうしたの? なんだか変だよ?」 「ディア、クローディア。どこにも行かないでくれ」 「どこにも行かないよ?」  きょとんとしたクローディアを、エルキュールは唐突にきつく抱きしめた。  彼女はいつものように厚い胸板に窒息しかけるが、なんだか様子のおかしいエルキュールを見てなんとか隙間から顔を覗かせ、自分も背中に伸ばした手に力を込めた。 「クローディア、だめだ、どこにも行くな」 「大丈夫、ここにいるよ。どこにも行かないよ」 「君が連れていかれる……そんな冷たい場所に行かないでくれ」 「エルク……? 何か……覚えているの……?」 「おぼえて……? 何を……、なんの話だ?」 「ううん。いいの。私はどこにも行かないよ。誰にも連れいかれないし、エルクの傍にいるよ」 「あたたかい……」 「うん、生きているもの」  エルキュールは抱きしめていた腕をふいに緩めると、そのまま縋るように胸に顔を寄せ、控えめな膨らみのあたりに耳を寄せた。   トクン…トクン……  自分の鼓動よりいささか速く感じる鼓動が、規則正しく聞こえて来る。    よかった。  生きている。  また連れて行かれたらどうしようかと思った。 「エルク……」  彼女が名を呼んでも、彼は返事もせず動こうともしなかった。  耳を寄せていた胸の上で、彼は体温を確認するようにただ頬ずりを繰り返した。  吐息を漏らし、生きている温度と彼女の香りに安堵する。  そんな彼の頭に手を伸ばし、クローディアも慈しむように髪を撫でた。  だが生命の確認が徐々に別のものに変わり、服の上から唇で肌をくすぐってくる。  そして少し上にずれると剥き出しの鎖骨のあたりに唇を這わせ、緩めた襟ぐりから覗く素肌にいくつも口づけを落とし、軽く吸い、舌でもくすぐった。    はぁ、と堪えるような吐息がクローディアの口から漏れる。  それでも彼女はされるがままに、ひたすらエルキュールの髪を撫でていた。    エルキュールは「ディア、ディア」と繰り返し、その中に「愛している」と「傍にいてくれ」が時々混ざった。  そうやってしばらく呼吸を乱しながらクローディアを感じた後、唐突に唇が塞がれた。  何度も何度も深い口づけを繰り返し、最後に水音が響くほどになると、やっとそこで身を離した。 「エルク……落ち着いた?」 「……すまない、取り乱した……君が急にいなくなってしまう気がした」 「いなくならないよ。まだ朝には早いよ。ぎゅってしてるから安心して眠って」 「ああ、ディア……」  ため息交じりに名を呼ぶと、広げたクローディアの腕の中に縋りついた。  彼女は小さく笑いながらエルキュールの頭を大事そうに抱くと、その広い背中を優しくなんどもさすった。  こうしていると体が大きいだけの子供のようにも感じる。  そんな強くて大きな彼が小さな自分に甘えて来るのが可愛く思え、彼女はエルキュールから寝息が聞こえて来てもしばらく慈しみの目で見守りながら背中を撫で、やがて眠りについた。  エルキュールは何か思い出しかけている。  引き継ぐことはないと思われた記憶を、魂のどこかに刻んで。  クローディアが毒殺されかけ、森での出来事の一部を思い出し、彼女が冥界に囚われかけた時の夢をみてしまったのかもしれなかった。
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