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「エリザ! ごくつぶしのエリザ! どこへ行ったの!? とっとと掃除洗濯全部やるんだよ! エリザ!」
「エリザァ~? 早く出てこないと、たーっぷりお仕置きしちゃうわよ~?」
「はぁ……あの雑巾女、本当に使えないわね」
エリザ。意地悪な継母と姉二人にいじめられる可哀そうな女。
いわゆるドアマットヒロイン。それが物語に転生した『今の私』らしい。
ありふれたIT企業の会社員という前世の記憶を取り戻したのは、昨日のこと。
継母であるリオネラに命令され、階段の掃除をしている時に、一番上の姉であるミリアと二番目の姉アリアに背中を押され突き落とされた。
その時に見えた走馬灯。そして、頭を打ったショックで全部思い出した。
今の私、エリザがいる世界は、前世の私が暇つぶしに読んでいた小説のひとつ、『家族にいじめられていた醜いアヒ族の私、実は白銀の聖女でした』の世界そのものだった。
そして、私はあろうことかその作品の主人公エリザになっていた。
この作品は、アヒ族という移民の血をひく母の子というだけでひたすらにいじめられ続けたエリザが主人公。エリザがいじめに健気に耐え続けていると、可哀そうに思った神様が登場。
本来18歳で覚醒する聖女の力を16歳の段階で一部分目覚めさせる。エリザはその力を使い数々の不幸に立ち向かって王国の黒王子と結ばれハッピーエンドを迎えるというもの。
13歳で記憶を取り戻した私が絶望したのはこの後の展開。
どんどん美しくなっていくエリザに嫉妬し、継母たちがいじめ尽くす描写がある通称『悪夢の3年間』。
ここで、エリザはとことんまでいじめ尽くされてしまう。そして、我慢の限界を超え、命を落とそうとした時に偶然出会った黒王子に助けられると同時に、その時気を失って見た夢の中で神様に力を与えられる。
だけど、
「絶対に、いや」
私はあの三人から逃げるために入り込んだ隠し部屋で独り言を漏らす。
そう、絶対にいやなのだ。私は。
散々踏みつけられて汚されるヒロイン。そう、THEドアマットヒロインの本領発揮と言える『悪夢の3年間』はとにかくただひたすらに不幸を濃縮還元し、いじめの宝箱やーって感じの鬱展開で、前世の私は作者のドSっぷりにドン引いた。
まず、普通にいやだ。そんな目に遭いたくない。
そして、何より、この展開が嫌いだ。
ただただ、女3人がエリザをいじめ抜き、ただただ、女3人のいじめをエリザが耐え抜く。
女3人もそうだがエリザにも腹が立った。
正直に言うと、展開は嫌いだけどその後のざまぁ展開が同じような展開でぼっこぼっこ嫌な奴らがやられていくのでちょっとスカッとしたし、何も考えずにぼーっと読めるので会社での諸々のストレス解消に丁度良かった。
だけど、私がエリザになったからには、絶対に『悪夢の3年間』展開はいやだ。
だから、私はこう考えた。
『そうだ、ショートカットしよう』
鬱展開を飛ばして、とっとと問題を解決することにした。
そもそもこれまでもエリザは散々いじめられていた。それを健気だか何だか知らないが『きっといつかは神様が助けてくれるはず』と夜のおほしさまを眺めながら祈るのだ。
はあ?
そんな事をする暇があるなら、もっとやるべきことがあるだろ。
そう思ってしまった私は、すぐに動き出した。
まず、聖女の力を目覚めさせてくれる神様に会いに行った。
神様は屋敷の秘密の部屋にいると原作で知っていたので会いに行った。
『え? エリザ? なんでここを?』『そんなことはいいから神様の力を一部でいいからすぐ貸してください』『え、でも……』『私はこっちにきてからずっといじめられていたんです。貰う権利あるでしょ? それとも、もっといじめられないとあげられないって言うんですか?』『いやいやいや! そんなことはないよ!』『じゃあ、おねがいします!』『分かった! 一部だけど解放しよう!』
という原作3年分とばしで神様に会い、私は聖女に少しだけ覚醒した。
まあ、つまりはこんな感じで原作でいじめを耐え抜いた後で得られる諸々をこちらからさっさと手に入れにいくことにしたのだ。
ちなみに、この隠し部屋も自力で見つけて入った。
「エリザ! どこにいるんだい!? エリザ!」
継母リオネラがきんきん声で叫んでいる。隠し扉越しなのに頭に響く。
ミリアも声を荒げ、アリアは冷たく蔑みの言葉を呟きながら私を探しているようだった。
こうやってエリザに恐怖を植え付け、ストレス解消のサンドバッグにしていたにも関わらず、それがより悪化し虐め尽くす3年間。
そんなのは耐えられない。
だから、3年後にとる解決法を今、私は使う。
「……いたずらっこの精霊さん、私に力を貸して」
私がそう囁くと淡い緑の小さな精霊が現れる。そして、私にぱちりとウィンクをして、隠し部屋から飛び出していく。神様に貰った聖女の力の一つがこれ。凄いことは出来ないけど、私の意志を汲み取り動いてくれる精霊さん。
精霊さんは私の目をじいっと見て頷くと、ふわりと隠し部屋の外へと飛び出して行く。暫くすると、3人の話し声が聞こえてくる。
「ん? 誰だい? 今、わたしの背中をとんとんと叩いたのは?」
「え? アタシじゃないわよ。アリアでしょ?」
「はあ、ワタシなわけないでしょ。そんな意味ない馬鹿なことをするのはミリア姉さんくらいでしょうが」
「はああ!? アリア、今なんて言った!? ただの頭でっかち嫌われ女の癖に」
「はああああ!? バカ女が何を偉そうに!」
「喧嘩はおやめ! アンタたちしかいないんだからアンタたちのどちらかでしょうが! 早く名乗り出な!」
私が願ったのは、いたずらっこの精霊が背後からとんとんと叩くだけのいたずら。だが、それにより3人は醜くののしりあう。その後、騒ぎすぎて疲れた彼女たちはエリザをいじめることをすっかり忘れ、去っていく。
そう、これは本来であれば3年後にようやくとることの出来る方法。
私は隠し部屋の壁にもたれかかりじっと手を見つめる。
「出来る……。やってみせる。鬱展開全部すっとばしてみせる。だから、」
私は隠し部屋から飛び出して、去っていく遠くの彼女たちの背中を見つめ、手を伸ばす。
「背後から押されておちないように精々気を付けてくださいね」
私は邪悪な笑みを浮かべていただろう。
それはそうだ。
ショートカットという邪道を歩むことを選び、不幸を耐え抜くドアマットヒロインにされることを嫌ったヒロイン失格の私。そんな女には邪悪な笑みが似合いの表情に違いない。
そして、アンチドアマットヒロインのざまぁへのショートカット作戦が始まったのだった。
「わ、わたしたちに『大人しくしていろ』とは貴方! どういうつもり!?」
相変わらずのきんきん声でリオネラが叫ぶ。相手は、私の父であり、彼女の夫であるゲオルグ。ゲオルグは眉間に小さな皺を寄せながら睨みつける。
「どういうつもりも何も。さっき言った通りだ。少しお前たちはやりすぎた。私の立場が少々揺らぐ程度にはな」
「……!」
リオネラは勿論、同じように文句を言いに来たミリアとアリアも何も言い返せず歯ぎしりしている。
ショートカットの為に、私がやったことは実にシンプル。密告だ。
リオネラやミリア、アリアの男遊びやお茶会での振る舞いなどでバレてしまってはよろしくない部分をゲオルグに伝えた。いたずらっこの精霊の力を借りて匿名の手紙で伝え続けた。
父ゲオルグは、女の醜い争いが嫌いで家庭に背を向け続けていた。外で出来た子である私を体裁で家に入れた後は放置。その結果、リオネラ達が増長し、家門にいらない傷をつけ続けてしまっていた。
気に食わない上に面倒な女の弱点を見つければ家の事に背を向け続けたゲオルグも動く。原作であれば、エリザに良くしてもらった家の人間たちによって暴かれる事実だが、その人間たちはエリザが追い詰められるまで決意できない。
であれば、ショートカット。
私が伝えればいいだけ。
貴族社会で醜聞は命取りになる場合もある。
そうなる前に内々で処理するのが一般的。要するに、背中に刃を当て脅すわけだ。
「お前の家との繋がりを結び続けることと切ることの利が同じになる程度にはお前たちは一線を越えてしまっている。お前たちは少し中央を離れ、落ち着くまで静かにしていろ。これは命令だ」
ゲオルグが冷たく言い放つと、リオネラは膝から崩れ落ちる。
一度中央から離れれば、噂が一気に広がるだろう。リオネラの裏を元から知る者から知らない者へとどんどんと伝えられ、リオネラの社交界での地位はとことんまで落ちるはず。
ただ、縁を切られその理由がゲオルグの口から明らかにされればそれどころではない。
リオネラ達は受け入れるしかない。そして、背中に突き当てられた刃が錆びるまで隠れ続けるしかない。恨みを買い続けた彼女達だ。気が遠くなるほど長い時間になるだろう。
私を階段から突き落とすという短絡的な行動をしなければ彼女たちは社交界から突き落とされることはなかったかもしれない。
彼女たちの人の不幸という蜜を啜る人生はショートカットされてしまった。自ら罪を背負い続けていた事を分かっていなかったが為に。
気付けば、リオネラがこちらを睨みつけている。
「エリザ! 貴方の仕業ね! この、疫病神! 下賤な女! ゲオルグを誑かしたんでしょう! 淫売女!」
罵詈雑言を私にぶつけてくるが、彼女はそれが私のショートカットを手伝うだけだと気づかない。
私は、手を組み祈りの形をとりながらリオネラに告げる。
「お義母様、そのような言葉を口から吐くことは神に背く所業です。そして、お父様までも貶めようとする発言は家門に背くと同じ。私は悲しいです」
リオネラははっと口をふさぐが、当然もう遅い。ゲオルグは私を見て深々と頷くと、リオネラに突き刺すような視線を向ける。私は何もしない。ただ、誰かの背中を押してあげるだけ。
「リオネラよ、お前の娘達と共にこれ以上恥を晒す前にこの家を去れ。もし、万が一お前たちの噂が風化するようなことがあれば呼び戻す」
ゲオルグの言葉に身体を震わせながら膝から崩れ落ちるリオネラ。そして、リオネラの背中をそっとさすってあげる二人の娘。二人ともキッと私を睨んでくるが存分に睨ませてあげよう。もう目にすることもないだろうから。
数日後、リオネラ達は死んでしまった。いや、正確には殺された。
彼女達に恨みを持っていた人々によって。
この事件は原作では3年後に起きる。それが早まっただけ。
リオネラは背中を一突きだったらしい。他の二人も逃げ惑う中で押さえつけられ何度も何度も背中を刺されたようだ。
そして、私は3年早くざまぁを終わらせた。
「……というのが事の顛末です。王子」
「簡単に言ってくれるな、エリザ」
私が渡した分厚い報告書を見終えた王子が頭を抱えている。
アレク王子。この王国の第二王子で、原作では健気に耐えるエリザを助けてくれる王子様。
そして、エリザと結ばれるはずの王子。
不吉の象徴と呼ばれている黒髪をくしゃくしゃと掻いて天を仰ぎ大きなため息を吐くアレク王子を私は見つめる。
本来であれば、もう少し後に出会うはずの王子だったけど、私はまたショートカットした。
「まったく……城の人間を脅して私をおびき寄せる人間がどんな女かと思ったら……とんでもない悪女だったか」
そう。私は王子に会うために、前世の私が知る限りの情報で城の人間を脅し、騙し、動かした。
それが一番手っ取り早かったから。数年後エリザに泥棒の濡れ衣を着せるが自身の窃盗癖が明らかになり捕まるはずの教育係。彼女にそのネタという刃を背後に当て脅した。そして、原作でエリザに終生仕え続けることになるメイドには占い師として近づき私に従うよう背中を押して誘導した。
「で。何が目的だ」
「アレク王子。私と結婚してください」
「は、はあああ!? い、いきなり何を!?」
20歳になると一度闇堕ちし世界を憎む黒王子となる人も、2年前はまだ純粋な部分も残っていたらしく顔を真っ赤にして叫んでいる。自身の顔の熱さに気づいたのか王子は慌てて背を向ける。私は背中を向けたままの王子に告げる。
「何度か送らせていただいた手紙で私の予知能力についてはご理解いただけたはず」
これは嘘。原作を知っていたので予知能力に見せかけて未来に起きることを当てているように思わせた。
「そして、聖女であることも国王陛下含め皆に認められております」
これは本当。限定的とは言え聖女は聖女。これまた王国の人間を色々と動かして私が聖女であることを明らかにする時期を早めた。
「予知の力を以て王国内の不穏分子を潰し、聖女の力で民の信頼を勝ち得てみせましょう。そんな女と婚約を結べば、アレク王子が王となれるのは間違いないでしょう」
これも本当。原作では、アレク王子がエリザに求婚し、彼女が聖女であることとアレク王子の根回しという二つの理由によって国王陛下に認められる。それを私がアレク王子の代わりにやっただけ。
アレク王子は、また黒髪をくしゃくしゃ掻いて天を仰ぐ。
「ふぅー…………確かに。貴方によって第一王子の勢力が削られている今、聖女と婚約すれば私の方が王位継承争いに優位となれるだろう。だけど、分からない。何故、私に。第一王子の方が確実では」
アレク王子の黒い瞳が真っ直ぐ私を見つめている。
確かにアレク王子の言う通り第一王子の方がいろいろな理由で王位継承争いに有利な状況だ。だけど、
「アレク王子。報告書に書いたように私はドアマットのように何度も何度もそれが役割だと踏まれ見下される日々でした」
「…………」
「貴方もそうでしょう。黒髪の王子」
黒曜石のような瞳が揺れる。
アレク王子は黒髪で生まれた。黒髪自体が王族にいなかったわけではない。
だけど、黒髪で王になったものは漏れなく災害など理不尽な不幸に襲われ国の危機に遭遇してしまう。
故に、黒髪の王族は忌み嫌われている。
城の一部の人間や第一王子には大分いじめられていたらしい。
成長し、強くなり美しくなるにつれ、人々や第一王子の嫉妬の炎が燃え盛り、アレク王子を歪ませる原因となる。
「私は、アレク王子であれば私の思いをすぐに理解してくれるだろうと信じ、ここにやってきました」
これは本当。
「それに、私はアレク王子を愛しています」
これは、本当、かもしれない。彼の寂しそうな黒い瞳が悲しいほどに美しかったから。
ただし、
「……エリザ。私の抱える秘密をちらつかせている人間が調子のいいことを言うね」
保険はかけた。アレク王子の秘密をやはり刃に変えて背中に突き立て結婚を迫る。
それが私のやり方だ。
話は、早い方がいい。
アレク王子がじっと私を見つめる。だが、諦めたように首を振り、薄く笑う。
「分かった。君を妻として迎えよう。……手紙に書いていた通り、3年間でいいのかな?」
「ええ。十分です。3年でとっとと済ませましょう」
こうして、私は原作よりも早くアレク王子と結婚した。
そして、
「王妃になったのは、国の全てを操る為だったとはね」
アレク王が呆れた顔で書類の束に目を通しながら私に話しかける。
3年で王国は発展した。アレク王子にちょっかいをかける馬鹿第一王子の派閥やどろどろとした女の嫉妬を抱えた令嬢たちの企みも全部踏みつぶした。
原作によって誰も彼もが後ろ暗い過去があることを知っていたから徹底的に使ってやった。
ただ、それを成すためには権力が必要。だから、アレク王子の妻になった。
「『原作』だかなんだか知らないが全て君にはお見通しだったわけだ」
結婚後、アレク王には、私の前世、そして、原作の話をした。
その方が手っ取り早かったから。最初は半信半疑だったが、私が第一王子派の貴族たちの悪事を明らかにし続けると、アレクは信じてくれるようになった。
「で、この国外の要人達のリストは何かな、エリザ?」
「原作でこの後やってきて理不尽に迫る愚か者達。その背には既に刃が向けられております」
「……なるほど。王国内部の貴族と同じように」
「ええ。本来の物語、原作であれば、国外からも愚か者たちの与える理不尽な苦しみに耐え抜いた私たちを救う者が現れ、今までの愚か者の悪行を明らかにし断罪します。……その情報を先に与え切り札にさせます。そう簡単にカードを切る者はいないでしょう。何故ならそのカードでそのものを殺すよりもチラつかせた方が遥かに利があるのですから」
例えば、後にやってくる帝国の将軍リカルド。
原作では、女遊びの派手な将軍は帝国と王国の親善パーティーで出会ったまだ未婚の私を気に入ったと力づくで攫う。それを助けに来たアレク王子の配下達が何人も斬り殺され、最後の一人を人質に脅迫されたエリザは自らの身体を差し出すよう仕向けられる。そこにアレク王子本人がエリザを助けにやってくる。
だけど、リカルドの剣技はすさまじく危機に陥る。ボロボロの中手を繋ぎ最期を覚悟した二人のもとに帝国の皇子がやってきてリカルドを断罪する。今までの女遊びの中には帝国の有力貴族の娘が十何人もいたことが明らかになったと告げ、リカルドは帝国で裁きを受けることになる。これが原作。
だが、そうはさせない。
私は、さっさと帝国の皇子に、密告の手紙を送っていた。確実に届くように、王国内に潜む帝国の密偵を捕まえ、脅して。勿論手紙には皇子の秘密も添えている。
現在、リカルドは女遊びの証拠を人(?)質にされたまま皇子に顎で使われているとこの前、私がパシらせた密偵が教えてくれた。
こうやって、私はこの物語で次々とやってくる理不尽な困難を全て先に潰してやった。
そもそもこの物語は、強大でいやらしい悪登場、愛の力で互いに支え合う、愛の力で覚醒or新イケメンが助けに、悪は今までの悪事を暴露されざまぁ、のパターンしかない。
なので、非常にやりやすかった。
全員同じパターンで対応可能だから。
「……というわけで、この国の中も外も愚か者共は全員背中に刃を当てられている状態です。何も出来ないままただただ自分の罪に怯え贖罪の日々を過ごすだけです」
「お前の脅迫によって、な。はあ、とんでもない女だな…………だが」
天を仰いでいたアレク王の黒い瞳が私を捉える。
「何故、それを私に話した? 私が各国の有力者を脅すお前を断罪するかもしれないだろう」
「出来ません。貴方には出来ないはずです。だって、この国を理不尽から守る為には今の状態が一番良いからです。そして、話した理由は……」
私はエリザの青い瞳でアレク王を見つめる。
「貴方に私の背中を預けたいからです」
驚くアレク王を尻目に私は話し続ける。
「私がやっていることは手っ取り早く解決するためのショートカッ……邪道です。もし今背に刃を突き立てられている誰かが破滅覚悟で私を断罪すれば、私のやってきたことは全て明らかになり、民の求心力は落ちてしまうでしょう」
そう、私がやっていることは脅迫。悪の手口。邪道。
「真実を知った民は今まで誇らしげに掲げていた私の肖像画や私の物語が書かれた本を何度も何度も踏む事でしょう。嘘つき女、悪女、と罵りながら」
慌てて走った邪道はまさに綱渡りの賭けだった。これからもいつ踏み外してもおかしくはない。
「もし、そうなった時がやってきたら、貴方はこう言うのです。『私はこの女の悪事を全て白日の下に曝すために調査を続けてきた!』」
私は、邪の道を歩む悪女。
「『悪女エリザよ! ざまを見ろ!』……と」
それだけの女。
「そうやって私を踏み台にして、貴方は清らかな王として、正道を歩む王として民を導けばよいのです」
私は喋り切ると笑った。自分でも何故笑ったのか分からないけれど、笑った。
そして、アレク王は、じっと私を見ていた。悲しそうな黒曜石の瞳で。
「お前から聞いた話では、原作ではお前は私と結ばれていつまでも幸せに暮らすという結末らしいじゃないか。何故、それを、『原作』をなぞらなかった」
黒い瞳が、刺すような視線が私を。私は思わず背を向けて窓を見る。
空は真っ暗で月がうっすらを雲に隠されながらも懸命に輝いている。
「……私が幸せな結末を迎えるまでに、悪人共によって多くの人々の幸せが踏みにじられる。土足で汚れた足で無遠慮に、ただただ他人の不幸を嗤いたいがために、理不尽に踏みにじるのです」
私はやはりドアマットがきらいだ。
『原作』ではざまぁ対象たちは、とにかく悪行の限りを尽くす。ただただ読者からのヘイトを溜めるために。悪人共に幸せを、家庭を、誇りを一度踏みにじられた人たちが出来ることは憎み、その恨みを晴らし、少しでも満たされることだ。ざまぁみろ、と。傷ついた心で笑うことだ。
「そんなことが……!」
だけど、踏まれた跡は消えない。ずっとずっと残り続ける。
人は、生きて心を持っているから。洗ったら落ちるドアマットではないから。
ただ、踏みにじられ傷つけられる。
「そんなことが許せますか!!!!!」
ぼんやりと月が歪む。空には雲が浮かんでいるが雨は降らない。
だけど、私の足元には雫の跡。
「私は、私の意志で踏まれるのです。踏ませるのです! そして、王の歩む道が血や泥で汚れぬようにするために私が存在するのです!!」
それでいい。それが私の望む私なりのヒロインだ。
「…………」
足が震える。自分で歩むと決めた道。
それでも、足は震える。
泥だらけの道、茨の道、地獄へも最短の道かもしれない。
最後を想像するだけで震える。死にたくはない。怒られたくはない。嫌われたくはない。
だけど、私にはこの道しかなかった。思いつかなかった。
崩れ落ちる私、をそっと抱きかかえたのはアレク王だった。そして、
「よっ……と」
「な、なにを!?」
私を背負うと執務室を後にした。
「アレク王……! 王がこのようなことを……」
「王だから背負うのだ。いや、君だから私は背負うのだ」
「……! 意味が、分かりません」
「……私は、ずっと君が私の背中に刃を押し当て君の行きたい道に誘導しているのだと思っていた。だけど、君は君だけが泥だらけの道を歩むように私の背を押してくれていたんだな」
アレク王の背中は大きかった。そして、あたたかかった。
私は黙って背中に身体を寄せた。
アレク王は背中越しに話し続ける。
「思えば、君に先頭を走らせてばかりだった。私は追うばかりだった。今日私はやっと君の背中に触れることが出来た気がするんだ。そして、ただ、うれしいと思ったんだ」
私をそっと下ろしたアレク王は向かい合い、私を見つめた。
「もう君の背中を追わない。私は君を背負って歩き続ける。絶対に離さない。君を、愛しているから」
雲が晴れ輝く月の光に照らされたアレク王は私の背中に手をまわし、私はアレク王の背中に手をまわし抱きしめ合う。
真っ暗な王の部屋で私たちは互いの背中に爪を突き立てる。
そして、もうショートカットせずに二人三脚で、いずれ増えるだろう小さな足跡を希望に歩み続けることを誓い合った。
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