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「僕たちの婚約は解消しよう。君は、自分の人生を歩むべきだ」
ほら、大きなどよめきが上がってしまっています。慌ただしく退出する方もいらっしゃいましたから、噂になってしまうのではないでしょうか。こうなったらもう遅いのでしょうが──念のため、忠告して差し上げることにいたします。
「……王国の将来に関わる非常に重大な事案かと存じます。王太子たる御方が軽々しく口に出すべきことではないかと。ご自身が何をおっしゃっているか、お分かりになっておられますか」
「無論。すべて承知している」
大きく頷いたフェルナン様の、瑞々しい新緑を思わせる碧の目は真剣そのものです。わたくしの目を真っ直ぐに見つめて、逸らすこともございません。しっかりと見開かれた目、引き結んだ唇、緊張を帯びた頬。どこをとっても、真摯、という題の偶像を造らせたらかくや、といった隙のない端正さです。
ここまでおっしゃるからには、本当に分かっていらっしゃるのでしょうか。さらに念押しをするか考えていると、横から軽やかな笑い声が響きました。
「そんな怖い顔で殿下を睨んではいけませんわ、ミレーヌ様」
「睨んでなどおりません、ポレット様」
フェルナン様の傍らに、栗色の髪の令嬢がいることにようやく気付いて、わたくしは眉を顰めました。ランジュレ公爵家のポレット様。容姿の愛らしさはわたくしの美しさと同じくらい、知識や教養の面でも、ご実家の名を貶めないくらいのご見識はある方だと思っていたのですが。
ご実家──そう、ランジュレ家は、我がエルヴェシウス家と同格の公爵家、歴史上も何かと競った経緯がございます。もちろん、我が家が勝ちを譲った覚えはまったくないのですが、ポレット様はどういう訳か得意げに豊かなお胸を反らしていらっしゃいます。
となると、事情が分かってきたかもしれません。
わたくしはフェルナン様に向けてにっこりと微笑みました。
「きっと、陛下もすでにご承知のことなのでしょうね、フェルナン様?」
「ああ。お父上の公爵には追って重々詫びを入れよう」
「お心遣いに感謝申し上げます。ですが、まずは娘のわたくしから一報を入れたほうがよろしいかと存じますので、失礼させていただきますわね」
優雅に一礼すると、周囲から感嘆の溜息が漏れたのが聞こえました。いついかなる時も美しく、はわたくしの信条とするところです。婚約破棄を申し出られたくらいで崩すわけにはいかないのです。
たとえこれからとても忙しくなると、分かっていたとしても。
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