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10.扉を開けて
「気持ちは、固まったかい?」
扉の向こうから声が聞こえる。
カレンは、声のする方を睨みながら尋ねた。
「――どうして、こんな事を? 貴方なら引く手あまたじゃない。何故、私に執着するの?」
扉の向こうで、ふっと乾いた声が聞こえる。
レニエは、いつも通りの凪いだ声で答えた。
「みんな、勘違いしているんだ。僕はね、本当は女が大っ嫌いなんだよ。高慢で、身勝手で、感情的で。母と姉は、いつだって僕を馬鹿にしてくる。姉が次期公爵だと聞いた時、やっぱりかと思ったよ。僕が、どんな成績を残そうと、どんなに努力しようと関係ない。全ては、予定された未来だったんだ」
「そんな……」
彼の母――エリザベートが、そんな人だとはどうしても思えない。
何か誤解があったんじゃないかと言おうとしたが、レニエの言葉は続く。
「でも――君は違った」
「……え?」
レニエは、ドンっと扉を叩いた。
カレンは、思わず頭を抱えびくりと肩を跳ねさせる。
クックッと狂った笑い声と共に、気持ちを高ぶらせた彼の声が聞こえて来た。
「だって君は、抵抗しないじゃないか。お父上がどんなに怒鳴ろうと、どんなに理不尽な事を言おうと、何も言わない。人形のように従順な君を見ているのは、快感だったよ。ああ、結婚したら僕もこうして良いんだと思ったんだ」
ゾクッと背中に冷たいものが走る。
思わずじりっと後退したら、ガチャリと鍵が開いた。
ギーっと静かに扉が開き、レニエがにこやかな顔で入って来る。
「さあ――お仕置きの時間だ」
◇◇◇
「――どういう事だ!」
ルブラン侯爵家の邸宅で、ダグラスの怒号が響く。
大股に歩く彼を追いながら、執事長が慌てた様子で告げる。
「申し訳ございません。どうやら侍女数名が金を握らされていたようです。今、騎士達が扉を壊そうとしておりますが、扉がビクともせず……」
レジナルドも彼らについて行きながら考える。
レニエは、魔法科の中でも入学以来トップの成績を納めている。
強化魔法など容易いはずだ。
彼女の部屋の前では、騎士達が木材などを手に扉を壊さんと奮闘していた。
中から、ガシャンっと何かが壊れる音が聞こえる。
「カレン……! くそっ……!」
「どいてください!」
レジナルドは扉に手を翳し、扉に掛けられた魔法の陣を浮かび上がらせる。
式に介入し綻びを作れば、解除できる。中から、彼女の叫び声が聞こえた。
『近づかないで! 貴方は、お父様とは違う――お父様は、厳しくても私の身の安全を守ろうとしてくれていたわ!』
ダグラスは、驚きで目を見開き、固まっていた。
しかし、そんな彼女を嘲笑うように、レニエが告げる声が聞こえて来る。
『馬鹿な事を……。もう諦めなよ。君と僕なら、分かり合えるはずだ。親は理不尽に子の未来を決める。僕らは、彼らの敷いたレールを歩くしかない。僕と君の未来は、もう決まっているんだ』
ダグラスが、苦々しく顔を歪める。
けれど今のレジナルドに声を掛ける余裕はない。
ただ解除を急ごうと魔力を込めれば、力強い彼女の声が聞こえて来た。
『甘ったれないで!』
その声に、レジナルドは驚いて顔を上げる。
前世の彼女が、今、蘇ったような気がした。
『――ねえ、想像できる? 人生って、ある日突然終わってしまうの。もっと、一緒に居れば良かった。もっと、愛を伝えていれば良かった。もっと……素直で居ればと、そう思っても遅いのよ。だからこそ今この瞬間を大切に、自分の人生が少しでも幸福なものであるようにと、人はあがいて生きて行かなければいけないの』
彼女はそう言う人だった。
どんな時も希望を絶やさず、何が本当に大切なのかをわかっている人だった。
その強さに、どれ程救われた事かわからない。
『女は、高慢で身勝手だと言ったわね。感情的だとも。なら、貴方は何だと言うの? どんなに努力してもどうせわかって貰えないと嘆くのは、身勝手で高慢な行いではないと言えるの? 卑屈になって自分の望みさえ正直に言えない貴方に、次期公爵なんて重責が耐えられるはずないじゃない!』
『うるさい――!』
『きゃぁっ……!』
パチンっと、頬を打つような大きな音が響く。
レジナルドは、放出する魔力を高めた。魔力量は、圧倒的にレニエの方が上だ。
全力で挑まねば解除は難しい。
(……もう、少しだっ……!)
『何をしても無駄よ。私は、貴方と婚約なんて絶対にしない! 愛している人がいるの。その人が例え私を忘れてしまっても、関係ない。彼がくれた幸せな時間が、愛してくれた記憶が、私に自信を与えてくれるから……! 私は、自分の人生を諦めたりなんか絶対にしない!』
――バキッと激しい音を皮切りに、ダグラスが扉を蹴破る。
扉が大きく外れ、家具が滅茶苦茶に倒されたその部屋に、彼女がいた。
カレンは、レジナルドの姿を見るや否や走り出す。
そんな彼女を、レジナルドは受け止めその身で隠した。
ダグラスがレニエに殴り掛かり、体が大きく後ろの転倒し――場は終息した。
「――頬が……!」
レジナルドが震える手でカレンの頬に触れる。
カレンの頬は、レニエに打たれ紫色に腫れてしまっていた。
レジナルドが、痛ましい顔で告げる。
「――すまない。やはり、一人で行かせるべきではなかった……」
その口調に、カレンは前世の夫を思い出す。
レジナルドは、いつも殊更丁寧な口調を使っていたから尚更に。
カレンは、小さく尋ねる。
「……一樹、さん……?」
レジナルドは、何も言わずニコリと微笑んだ。
カレンの瞳から、ぼたぼたと涙が溢れ出す。
伝え合いたい事が山のようにあるが、レジナルドはカレンの背を支え「行こう」と部屋を後にしようとした。その時、――パンッと乾いた音が響いた。
何の音だろうとカレンが顔を上げた瞬間、隣に立っていたレジナルドの体がぐらりと倒れる。見れば――足からドクドクと赤い血が流れていた。
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