1.再会

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1.再会

「――……なんですって?」    あまりの事に、一時、呼吸さえ忘れた。  物々しいカレンの様子に、周囲の視線が集まる。  それに気が付き、カレンは改めて声を潜めて尋ねた。 「……私とあなたが、どうして婚約するの? あなたは、公爵家の長男じゃない」 「まあね。でも、我が家が特殊な家である事は、君も知っているだろう? 現在も母が家督を継ぎ、次代も、姉が継ぐ事が先日正式に決まったんだよ。それで、僕の立場がいつまでも宙ぶらりんなのは良くないからと、ルブラン侯爵家に婿入りが決まったんだ」 「……で、でも! ロクサーナ様はどうするの? あなた達、恋仲だったんでしょう?」  伯爵令嬢のロクサーナ。幼馴染と言うだけで以前からカレンを敵対視していて、今も少し離れた場所から二人を鋭い目で見ている。レニエがくすくすと笑いを零した。 「彼女と、別れる必要があるかな?」 「……え?」  一瞬、何を言われているかわからず唖然とする。  レニエは平然と続けた。   「貴族同士の婚姻なんて、そんなものだろう? ルブラン侯爵も、『好きにしたらいい』と仰ってくださったよ。面倒事さえ起こさなければ、君だって自由に楽しんでくれて良いんだ」  頭から、さあっと血の気が引く。  自分を根幹から支える柱のようなものが、グラグラと揺すられている気分だ。  あまりの衝撃に、吐き気さえ覚える。  青褪めて押し黙ってしまったカレンに、レニエは優しく微笑みそっと耳打ちした。 「後継ぎの事なら心配しなくていい。他所に子を作らないよう気を付けているし、君の事も……ちゃんと愛してあげるよ。僕は、君のその顔立ちも、その格好も、どことなく背徳的で中々気に入っているんだ。知ってる? 君のその髪を淫らに解いてみたいという男も結構多いんだよ」    吐息交じりの声に、ゾワッと肌が粟立つ。レニエの表情は、その言葉とは裏腹に、まるで心から愛していると言わんばかり甘さを含んでいて――その落差にカレンは恐怖を覚えた。身を竦めていると、スッと体の距離が遠のいた。 「ルブラン侯爵閣下」  気が付けば、父ダグラスが目の前にやって来ていた。  カレンは、半ば茫然と父に尋ねる。 「……婚約の話は、本当ですか?」  否定の言葉が欲しかった。  レニエの悪ふざけだと。しかし、父もまた普段と変わらぬ様子で答える。 「――ああ。真実だ」 「私は……! 私は、何も聞いておりません」 「何故、お前に言う必要がある?」 「何故って……、婚約するのはお父様ではなく、私です。当の本人が何故、知り得ないと言うのですか?」  父の睨みつけるような冷たい眼差しが怖くてたまらない。  けれど、カレンは震える声で懸命に尋ねる。  ダグラスは、面倒くさそうにはぁと大きく溜息を吐いた。 「……これは、お前の為だ。お前はこれまで通り何も考えず、何も見ず、何も聞かず、ただ私の決定に従っていればいいんだ。それにこの婚姻は、亡き母の願いでもある。娘なら、叶えてやるのが筋というものだろう」    目の前がカッと赤くなる。  亡くなった母を引き合いに出すのは、あまりにも卑怯ではないか。  カレンは、責めるように言い募る。 「……私は、お母様の声も覚えておりません。何故、見ず知らずの女性の願いを叶えて差し上げなければいけないのかしら」 「カレンっ……!」  父の厳しい声にビクリと肩が震える。  その時、――ギーッと音を鳴らし、舞踏会場の大扉が開いた。  ダグラスからの叱責が続かず、カレンはゆっくりと顔を上げる。  ダグラスも、そしてレニエも扉に目を向けていたので、それにつられるように視線を移した。扉の前には、一組の男女。    男性の方は、緩く伸びた美しい金色の髪を一つに纏め、丸い眼鏡を掛けていた。  隣には、同じく丸い眼鏡を掛ける茶色い髪の愛らしい少女。 「――へえ、社交の場に出て来るなんて珍しいな。レジナルド・デューフォール博士だ。そう言えば、ルシーが博士の妹君と友人になったと言っていたな」  ルシーとは、レニエの妹ルシアの事だ。  そしてレジナルド・デューフォールの名は、社交に疎いカレンでさえ知っている。代々王立アカデミーを守る由緒正しき家門――デューフォール伯爵家。そこの嫡男であり、幾つもの優良な魔晶石が発掘出来る鉱山を見つけただけでなく、それ用いて画期的な魔道具を次々と生み出し、王国の発展に大きく貢献したと言われている天才。けれど、社交界には一切興味がなく、社交界一の美女さえ袖にする〝偏屈学者″。確か、カレンよりは五、六歳上のはずだ。  本人を見るのは初めてで、遠目に観察していると、妹君の方が嬉しそうな表情で一人の男性に駆け寄る。彼女の婚約者なのだろう。噂の彼は、ほっと安堵した表情で男性と一言二言会話を交わし、踵を返した。どうやら妹君を送り届けに来ただけのようだ。その瞬間、切れ長の水色の瞳がこちらを向いた。  カレンも――そして彼も、目を大きく見開き動きを止めた。    周りの音が何ひとつ耳に入って来ない。  ただ、自身の鼓動だけを耳の側で感じ、雑踏に浮き上がるように彼がいた。  彼は、咄嗟に何かを言おうと口を開きかけたが、思案気に俯き口を噤んだ。  混乱する思考の中、レニエに声を掛けられる。 「カレン? どうしたんだい?」 「あ……えっと、……」    何と言ったら良いか返答に迷っていると、レジナルドが扉に向かって歩き出す。社交など、するつもりもないらしい。  カレンは、慌ててその後を追おうとするが、父にその手を取られた。 「待ちなさい。どこへ行くつもりだ……!」    その時は、父の低い声に恐怖心さえわかなかった。  ――行かなくてはいけない。その気持ちだけで、カレンは父の手を振り払った。 「――……ごめんなさいっ、」  スカートの裾を摘まみ走り出す。  ダンスフロアを横切ろうとするが、幾人ものカップルが踊っていて中々前に進めない。途中、踊る誰かの袖に、つめていた髪が引っかかり絡んでしまった。慌てるほどに髪は絡まり、中々解く事が出来ない。 (――ああ、もう!)    カレンは、一思いに髪飾りを外し、髪を解き後ろへと流した。  その緩やかに波打つ艶のある美しい髪に――隠しきれない艶やかな姿に、周囲の人々が頬を赤らめほぉと息を零す。けれど、カレンにはそんな様子さえ入って来ない。    このままでは追いつけないと悟り、テラスへと向きを変え足早に移動する。  ここは二階。テラスからは、出口に向かう人の姿が見えたはずだ。  大きくフレンチドアを開け放ち、外に出る。  テラスから見える庭園は美しく、月夜に照らされた薔薇の道に一人、門扉に向かって歩く彼の後姿を見つけた。 (どうしよう、間に合わない……!)  室内の音は、遠い。  外は、夜の星空の下、ひっそりと静まり返っている。  そして風は、追い風。  カレンは、手摺を爪でコン、コン、と弾きリズムを刻んだ。  脳裏に蘇る幾つもの音。  背筋を伸ばし、大きく息を吸って、喉を震わせた。    声と共に、夜を形作る全ての要素が綺麗に交ざり合う。  涙が一粒零れたけれど、声が震えないように全身で音を演じる。  狂おしいほどの恋の歌。  かつての世界では、ジャズと呼ばれたこの独特の旋律。    さぞ、人々には奇異な光景に映っているだろう。  けれど、彼にならわかるはず。  ――そう、前世ジャズシンガーであった自分の、その夫であった彼ならば。  
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