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2.見えた活路
「……何をっ、やっているんだお前は!」
「――っきゃあ……!」
父に腕を掴まれ、カレンの歌は途切れる。
けれど、その殺伐とした雰囲気とは一転、周囲の人々は、ぽつり、またぽつりと手を打ち、最後は盛大な拍手が鳴り響いた。
室内の人々も、声を潜めて耳を欹て聞いていたようだ。
わっと多くの人に囲まれる。
「素晴らしいですわ……! どこの国のお言葉だったのかしら?」
「本当に! 心に染み入るような歌声でした! ああ……ぜひ、演奏付きでもう一度歌ってくださらない?」
「髪をおろしている姿も、とても素敵! まるで夜の女神のようだわ」
父と二人、唖然として言葉を失っていると、パチパチと手を打ちながら一人の男装の麗人――今日の主役である、エリザベート・ベルフォール公爵が近づいて来た。
「やあ、実に良いものを聴かせて貰った。まさか、カレン嬢にこんな一面があったとはね」
「……エリザベート様」
カレンは、慌ててカーテシーをする。父ダグラスも、礼に習って腰を折っていた。エリザベートは、カレンに近づき、その綺麗な指先でそっとカレンの涙の痕を拭った。
「この後少し、時間があるかな? ぜひ、君と話がしたい」
カレンは、ちらっと父の顔を見る。かなり不機嫌な顔はしているが、止める素振りは見せなかった。どの道、王族に次ぐ身分を持つ彼女に、否を唱える事など出来ない。
「……もちろんでございます」
エリザベートは満足げに微笑み、人々に室内に戻るよう促す。
それに従い、一人、また一人と貴族達は元の場所へと戻って行った。
「ダグラス。そなたは先に帰っていてくれ」
「……娘を置いては行けませぬ」
「私が信頼出来ぬのか?」
ダグラスは、低く唸り、厳しい顔のまま「かしこまりました」と頭を下げた。
そして、その場に残っていたレニエが慌てた様子でエリザベートに言い募る。
「母上。今日は、僕と彼女の……!」
「黙りなさい、レニエ。その話はまた後日だ。……お前、私に嘘を吐いたね?」
いつも微笑みを絶やさないレニエの表情に、僅かに緊張が走る。
「何を仰っているのか、わかりかねます」
「――まあ、良い。カレン、君は使用人について先に別室にて待っていてくれ。さあ、お集りの諸君。どうか今日という日を楽しんで欲しい……――」
エリザベートは二人に声を掛けた後、室内に戻り招待客の相手をしていた。
カレンは、待機していた使用人の後に従う。
レニエが苦い顔で何か言いたそうにしていたが――敢えて見て見ぬふりをした。
◇◇◇
応接室で待っていると、エリザベートはすぐにやって来た。
カレンは、慌てて立ち上がり、カーテシーにて彼女を迎える。
「楽にしなさい。突然呼び出してすまないな」
「……いえ。わたくしの方こそ、場を乱してしまった事、心より謝罪申し上げます。お叱りは、甘んじて受け入れる所存です」
呼び出された理由が他に思い当たらず、いの一番に謝罪を口にしたが、エリザベートはきょとんと目を丸くし、ふっと笑いを零した。
「君には、あの場が乱れたように見えたのか?」
「いえ……ただ、常ならざる事は確かだと思いましたので……」
エリザベートが腰を掛け、目の前の席を進めるのでカレンも今一度腰を下ろす。
中央政権の中枢を担う彼女を前に、緊張しないわけにはいかないが、その眼差しはどこかとても温かかった。母が生きていたなら、こんな風に見つめてくれたのではないかと思うほどに。
エリザベートは、用意されたカップに口を付けながら話し始める。
「先程も言ったと思うが、とても良いものを聴かせて貰った。謝罪は必要ない。お陰で、君がどんな子だったのか思い出した」
「どんな子――ですか?」
「ああ。いつだったか、君が幼い頃。パーティー会場の裏側で、ダグラスが厳しく君を叱る様子を見かけてね。それがあまりにも恐ろしい形相だったので、小さな子に厳し過ぎるのではと声を掛けようとした事があったんだ」
そんな事、いつもの事過ぎていつの事か見当も付かない。
思わず少し視線を伏せると、エリザベートは穏やかな口調で続けた。
「一足遅く、ダグラスは立ち去った。君は、泣いているだろうと思ったんだ。けれど、君は今と同じように視線を一度伏せ、次の瞬間には背を伸ばし前を向いていた。その時、『ああ。この子は強い子だ』って思ったんだ」
カレンが黙して俯いていると、エリザベートはカレンの前に幾つかの書類を置いた。カレンは、恐る恐るそれを手に取り、中を見る。
「……これは、首都にあるアカデミーの資料でしょうか?」
我が国――アーヴェンデルには、旧い歴史を持つ王立アカデミーが各領地に用意されていた。中でも、首都にあるアカデミーは高い水準の試験を用意し、たとえ高位貴族の子息子女であっても真に実力のある者しか通えない最難関と謳われている。確か、レニエもここの魔法科に所属していた筈だ。
エリザベートの意図がわからず首を傾げていると、予想もしない言葉を掛けられた。
「カレン。ここに入学し、留学をするつもりはないか?」
「――っ!」
思わず、驚きに目を瞠る。
カレンは、父の一存で、領地のアカデミーの入学試験さえ受けさせては貰えなかった。エリザベートは、長い脚を高く組み、続ける。
「私が、女性の社会進出を推し進めているのは知っているね? 戦争の時代は当に終わった。これからは、技術と文化の時代だ。そして、流行は女性が作る。経済を大きく動かす為にも、各アカデミーには率先して女性の留学もサポートするように声を掛けているが――君のように、未だ家に縛られている子女は多い」
アカデミーの入学率は、女性は男性の半分程度だと聞いた事がある。
エリザベートは、カレンに『先駆者になれ』と言っているのだろう。
「君の歌は、本当に素晴らしかった。アカデミーには年齢制限がある為、一からと言うわけにはいかないが……特別に編入試験を用意して貰うよう、私からデューフォール博士に書状を送ろう」
「――デューフォール博士、ですか?」
カレンは、思わず問いただす。エリザベートは、すぐに是と答えた。
「ああ。デューフォール伯爵から引き継ぎ、先日、現アカデミー長となった。レジナルド・デューフォール小伯爵だ。知り合いか?」
カレンは、ゆるゆると首を横に振る。
(……アカデミーに行けば、彼にまた会える……!)
ただその想いで胸がいっぱいで、もう、エリザベートの声さえも耳に入っては来なかった。
「アカデミーは全寮制だ。君にとっても、ダグラスにとっても、少し距離を取るのも悪くないと思うんだ。ダグラスの方にも私から……」
「――行きます」
焦がれるほどの熱い想いに、胸が焼き付いてしまいそうだった。
カレンは縋るような気持ちでエリザベートに言い募る。
「お願いします――……どうか、私に編入試験を受けさせてください!」
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