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7.レジナルドの憂慮
王都の繁華街。
高級な店の立ち並ぶその奥に、貴族位の者達でさえ寝泊まり可能な高級な宿屋がある。前世の言葉で言えば、五つ星ホテル。
この世界、この時代にホテル事業は画期的な発想で、王都に邸宅を持たない地方領主達や、金は余る程持っていて貴族達に劣らぬ扱いを受けたい商人達に求められ、部屋は常に満室。今後、益々拡大していくだろう。
その最上階に、王都の街並みを眺める事が出来るフロアがある。
昼間はカフェに、夜はバーに姿を変えるこの場所。
全体的に落ち着いた色調で、雇われた演奏家達が部屋の隅で代わる代わる絶えず音楽を奏でている。
レジナルドは、そこで一人、グラスを傾けていた。
「オーナー、こちらにいらっしゃいましたか」
「……ヴィンセント」
ヴィンセント・ドゥプレ――長年デューフォール伯爵家の執事をしていたが、年を理由に退職。以降、レジナルドの所有するこのホテルのバーで経営の全てを担っている。
「今日は、ご機嫌が宜しいようで。かの乙女が関係しておりますかな?」
「……」
レジナルドは、憮然と口を噤む。
表情が変わらず何を考えているか分からないとよく言われるレジナルドだが、ヴィンセントにだけは何故か見抜かれてしまう。
しかし、仕方がないではないか。
ずっと焦がれていた彼女と再会し、尚且つ自分を覚えてくれていたと言うのだから。
何も言わないレジナルドに、ヴィンセントはやれやれと肩を落とし、テーブルの上に書類の束を置いた。
「ルブラン侯爵に関する調査結果です」
「……そうか」
「お嬢様は、随分とご苦労なされたようですね」
レジナルドは、涙を零していたカレンを思い出す。
胸が痛み、同時に腸が煮えくり返りそうだった。
自分が大切にしてきたものを、踏みにじられた気分だ。
(……馬鹿だな。もう、俺には何の資格もないと言うのに……)
レジナルドが前世の記憶を蘇らせたのは、カレンと再会するよりも随分と前の事。物心ついた頃から少しずつ折に触れては思い出し、十歳を少し超えた頃には人格が『青山一樹』と同一になるほど完全に記憶を蘇らせていた。
前世の彼女――花蓮と共に過ごした時間は、三十年。
死が二人を分かち、その後二十年もの時を生きた。
母の死を悲しんでいた子ども達もやがて素敵なパートナーを見つけ、五人も孫が出来た。家の中は常に賑やかだった。
けれど、心の空白を埋められた事は一度もない。
「お嬢様も、覚えていてくださったという事ではありませんか。何故、『自分も覚えている』と打ち明けられないのですか?」
ヴィンセントには、前世の記憶が蘇る度に話していた。
幼心に、誰かに話さずにはいられなかったからだ。
両親さえもが話半分で聞き流す中、彼だけは真摯に受け止め続けてくれた。
「……言えないさ。彼女は、俺の所為で不幸になったのだから……」
スポットライトを浴び光り輝く彼女が、どこか遠くへ行ってしまいそうな不安に駆られ、慌てて求婚した。
彼女は、それを受け入れてくれただけでなく、仕事量を抑えてまで共に過ごす事を選んでくれた。あんなにも、夢見ていた仕事だったのに。
それでも彼女を手放す事が出来なくて、その分決して苦労はかけまいと思っていたのに、落石事故で片足が不自由になってしまった。
(……花蓮に負担をかけ、早死にさせてしまったのは……俺の所為だ)
もう同じ過ちは繰り返さない。
そう心に決めたのに、実際に彼女を見てしまうと気持ちがグラグラと揺れる。
泣いている彼女を見て、本当は全てを打ち明け抱きしめてしまいたかった。
不意に微笑んだ姿は前世と変わらず愛らしく、血が沸騰するかと思った。
家を出たいのなら、無理をしなくとも一つだけ方法があると、卑怯にも告げてしまいそうだった。
(……それだけは、駄目だ。今世でまで、〝結婚″という形で彼女を縛り付けるわけにはいかない)
策を練らねばならない。彼女が彼女のまま、自由に人生を歩めるように。
彼女を苦しめる者を決して許しはしない。
レジナルドは、調査結果に目を通す。
「……これは、」
「ええ。ルブラン侯爵夫人とご子息の死因は、公には事故となっておりますが――どうやら違うようです」
「……弾痕」
資料には、馬車に弾痕が残されていた為、何者かの襲撃を受けたものと推測する記載があった。けれど一転、それは弾痕ではなく落石がぶつかった跡と修正され、最終的には事件性はないと判断されていた。
ヴィンセントは、周囲に注意を払いながら、腰を屈め一層声を潜める。
「……当時の捜査官が弾痕跡のトレースを行っていたようなので、その資料を基に銃の製図を作らせてあります。かなり手の込んだ作りではありますが、非常に軽く、女子どもは難しくとも男子であれば問題なく扱う事が出来るでしょう……」
レジナルドは眉を顰めた。
ルブラン伯爵がカレンに見せる異常な執着心。
それには何か、理由があるのかもしれない。
深く思案するレジナルドに――ヴィンセントは腰を伸ばし、マスターらしく空になったグラスに酒を注ぎながら話しかける。
「……それから、わたくしは必ずしもそうとは思いませんな」
「ん?」
何の話だとレジナルドが顔を上げると、ヴィンセントはふふふっと微笑む。
「一方が幸せで、もう一方が不幸せという状況は、中々ないものだという事です」
「……」
それは、年の功からの言葉なのか、レジナルドを慮っての言葉なのか。
彼女と過ごした三十年。『青山一樹』は、確かに幸せだった。
レジナルドは苦笑し――ヴィンセントに告げる。
「――便箋を貰えるか。手紙を一通、認めたい」
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