スキン

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スキン

遂に限界が来た。 自分で言うのはなんだが仕事ができるので面倒な注文は全て俺に回り、毎日アパートに帰るのは余裕で日を跨いでから。このデザインの事務所に就職してから日増しに仕事は増え、遂に俺は今朝、ベッドから起き上がれなくなった。 早く独立がしたい。 その能力もあり、顧客も当てがあるものの、資金が今少し足りない。その矢先に倒れた。繰り返しかかってくる電話を無視し「北野は死去しました」と会社にメッセージを送ると、俺は窓際に掛けられた肌色のツナギ服のようなものに目をやり、呟いた。 「陽菜。ひな、ちゃん」 そうだ。 陽菜もいない。 激務でも俺をぎりぎりでつなぎとめていたのが陽菜だったのだ。 窓際に掛けられているのは、陽菜の全身の皮だった。 美術大学の後輩で、学校を卒業したばかりの陽菜がこの部屋に転がり込み、同棲を初めて二年、どんな時も、夜のベッドの隣には陽菜がいた。 そんな陽菜と些細な言い争いをした翌朝、彼女はその多くはない荷物と一緒に何処かへ消えてしまっていたのだった。彼女が俺に残したものは脱皮した後の、この皮だけだった。そして、今日であの日から三週間が経つ。 もう、多分、戻っては来ないのだろう。 梅雨に入る前にこの皮もどうにかしないといけない。カビが生える。 俺は寝たままスマホを操作し、大学の先輩のホームページを検索した。 そして、その日の午後、俺は森の中の先輩のアトリエにいた。 俺より三つ上の先輩の名前は、スキンアート創平。 と言っても入れ墨彫師ではない。創平さんは、脱皮した後の皮を元に人体の形状を再生させ、装飾を施すアーティストだった。 「北野から突然連絡なんて何かと思ったぜ」 長身で浅黒い顔に長髪、何かの骨のピアスを耳から下げた創平さんは、アジアの何処かの民族衣裳のようなものに身を包んでいる。同じ美大を出ても、年中ジーパンとジャケットの俺とはえらく違う。 「彼女が脱皮体質だったわけな。モノ見てねえからわかんねえけど、お前、それ、貴重だぜ。そもそも脱皮体質の人間が日本じゃ希少な上に、皮がほぼ完体のまま残ってるんだよな。脱皮なんて一生に一度のもんだ。しかも若い女だとしたらよ、こりゃ」 俺は促され、リュックの中からきれいに衣服のようにたたまれた陽菜の皮を取り出し、テーブルの上に置いた。たたまれた皮の一番上にはショートカットの陽菜の固めの頭髪があった。行為の後、ぐしゃぐしゃになって寝ぐせのように元に戻らない陽菜の髪が俺は好きだった。 「ちと拝見。お、おお。ホントに完体じゃねえか」 陽菜は小柄だ。立ち上がった長身の創平さんが皮を持つとまるで子供をあやしているようだった。創平さんは皮を裏表と眺めるとしきりに感心している。そこは乳房だ、そこはお尻だ。中身があってこそ膨らんでいる部分は、皺が寄っているものの、その分だけ在りし日を想像させる。何か俺が恥ずかしい。 それにしても、大事なものが凌辱されているようなこの変な気分はなんだ。 「普通はな、脱皮の時にむずがって少しは破れるんだよ。でも、これは見事。見てみ。背中のこのわずかな切れ目から上手に全身、脱ぎ切った。この娘、いい子だな」 彼女が褒められるのはうれしいが、やっぱり変な気分はやまない。 創平さんは養生テープのようなものを持ってくると、皮の背中の部分から手を突っ込み、目、鼻、口、耳、と穴を次々に塞いでいった。 そして、最後に背中の切れ目を塞ぐと、電動空気入れのホースの先を、いつもは俺のモノが出入りしていた部分に差し込んだのだった。 「他にないんですか?空気入れる場所」 「あ?あ、気にするか。でも、ここが一番いいんだ。破れる心配もない」 そんなことを話すうちに、俺たちの目の前のテーブルに横たわった皮は、みるみるその中身を取り戻していったのだった。 目の色はないけれど、これは俺が大好きな陽菜だ。 いつも素っ裸で俺の隣に眠っていた陽菜。 「すげえな」 創平さんが絶句している。 「北野。俺は先に触れねえ。ほら、ひっくり返して全身見てみ」 ショートカットの小さな顔、伸びた鼻筋、厚ぼったい唇。 細い首筋。筋肉質で細く長い腕。 そして、手のひらにすっぽり入る位の可愛い乳房、きれいな桃色の乳首。 くびれ切ったおなかについた小さなおへそ。 ここだけは大きなお尻はコブのような急角度の稜線を描き、その先からはよく育った元気な大根が二本屹立している。 「俺はスキンアーティストだ。本来ならここに詰め物をした後、この体を部分的に修復して、必要があれば作り直す。その上で装飾を施して依頼主に返す。でもな」 「はい」 「直す部分なんてどこにもねえな、これは。そればかりか」 「何ですか?」 「その気があればだけどな、高く売れるぜ、相当」 その時、俺のスマホに着信があった。 え? それは、ずっと着信拒否になっていた陽菜からの電話だった。 「もしもし。陽菜?」 「もしもし。健ちゃん」 「元気にしてる?」 「大丈夫。それより、ごめんなさい。私、体があんなことになって動転しちゃって。もう健ちゃんの傍にいられないと思った、それで」 「いや。そんな」 「脱皮体質っていうんだって。健ちゃん、知ってた?」 「俺は知ってた」 「そっか。私、さっき偶然知ったんだよ。病気じゃない」 「うん。病気ではない」 「それどころか、あれ、売れるらしいって。捨ててないよね」 「皮?捨ててないよ」 「よかった。あのね、私たちの先輩にスキンアート創平って人がいてね」 ははは。 「健ちゃんの独立の足しにならないかな」 7桁の数字が並んだ電卓をこちらに見せて、創平さんがにやりと笑った。 「ううむ」 「どうしたの?健ちゃん」 俺は確かに今、何かを試されている。
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