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成明は、怒りを堪えるように震える手のひらをグッと握り込み、わたしを見据えた。
「どうして、人工中絶なんてしたんだ。あの時、ピルを飲んでいると言っていたじゃないか。そうじゃなければ、緊急避妊用ピルを使うとか、体を傷つけない方法だってあった。それに結婚しているんだ。子供が出来たら産むという選択があったんじゃないのか⁉」
成明から優しいだけの仮面が剥がれる。成明の本音が知りたいと思っていたが、いざとなると、わたしはどうしていいのか戸惑い、焦りを感じていた。けれど、余計なプライドがそれを認められずにいる。子供が要らない理由を並べ立てた。
「今更そんな事どうでもいいでしょう。それに、私は、まだ子供なんて欲しくないの。体形だってくずれるし、自由だってなくなるし、子供中心の生活なんて全然嬉しくないのよ。なんで、結婚したから子供を産まないといけないの? だいたい、あなただって、自分の子供かどうかわからない子供を押し付けられたら嫌でしょう?」
いくらなんでも言い過ぎていると自分でも思った。でも、言った言葉は取り消せない。
しかし、成明には子供を欲する理由があったのだ。
「キミが処分してしまった子供は、俺の子供の可能性だってあったんだ。病床の父にだって、孫の顔を見せられるチャンスでもあったのに……。自分の子供が殺されるような事は……もう、ごめんだ。子供が要らないのであれば、セックスをする必要もない。俺は、2度とキミを抱かない。外で好きにすればいい。離婚したいのならキミからお義父さんに言ってくれ、跡継ぎとして、孫の顔も見せられずに至らぬ婿でした。すみません。と伝えて欲しい」
そう、成明の父親は、現在緩和ケアのために緑原総合病院に入院していて、余命幾ばくも無い状態だった。
わたしは、深く考えることもしないで、ただプライドのためだけに、成明の心に深い傷を負わせてしまったのだ。でも、自分を擁護する言葉ばかりが、わたしの口からこぼれて行く。
「なんで、そんなにムキになっているのかしら? 私たち体の相性は良かったでしょう? それにあなたは、お父様のお気に入りだもの。離婚理由を聞かれても困るし離婚する気もないわ」
無駄なプライドを振り回し、自分を守った。
その結果、成明とは寝室を別にし、ただの同居人として暮らし始める。
それから4年半の日が経ち、わたしたち夫婦は、離婚もできずにいた。
成明は、2度とわたしを求めて来ない。
たまにヒステリックわめき散らしても、成明は冷たい瞳で心療内科への受診を勧めるだけだった。
結婚なんて、親に言われて仕方なくしただけ……。
わたしは、父親の目から逃れ、自由になりたかった。
上手く行かない日常は、景色が色褪せて見え、遠い過去を呼び覚ます。
大学時代は毎日がキラキラと輝き、何をするのも楽しかった。
あの頃に戻れたら……。
そう思った時、当時恋人だった健治に、たまらなく会いたくなった。
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