ゴミから始まる妄想ストーリー 【傘】

1/1
前へ
/1ページ
次へ
【傘】 頭上から聞こえてくる鳥の鳴き声に顔を上げた。 女子大の時からの十年来の友だちとランチをして来た帰り道。 今にも雨が降り出しそうな鉛色の空が、生い茂る葉の隙間から覗いている。 木の枝には大きなカラス。 その枝の付け根、ちょうど幹とつながる部分にはヒヨドリの巣と小さなヒナ。 カラスは巣に向かって枝の上を少しずつ近づいており、ヒナたちは今にもカラスに襲われてしまいそうだ。 親鳥は見当たらない。 このままではヒナたちの命が危ない。 どうにかカラスをヒナから離れさせる方法はないだろうか? そう考えて、声を上げる、大きく手を振りカラスに私の存在をアピールする、手に持った傘を振り回してみる等、色々とやってみたが、一向に効果がない。 何か投げてみようかとも思ったが、周りに投げられそうな小石やそういった類のものは見当たらない。 私は右手に持っている、先ほど振り回してみたが全く効果が無かった傘に再度目をやった。 最後の手段として思いついたのは、カラスに向かって傘を投げることだった。 カラスやヒナに当たる心配もなくはないが、ヒナのいる巣からは少し離れているし、カラスは当たりそうになったら自分で避けるだろう。 少し悩んだが、そうしている間にもカラスはヒナに近づいていく。 私は、思い切ってお気に入りの水玉模様の傘をカラスに向かって投げた。 流石に驚いたようで、カラスはバタバタと羽音を鳴らしその場から飛び去っていった。 ヒナたちは守られた。 作戦成功だ。 そう思ったのも束の間、問題が発生した。 カラスを追い払った後、そのまま落下して手元に戻ってくるはずだった傘が、枝に引っかかってしまったのだ。 手が届く高さではない。 かといって木に登って取る自信もないし、それができるような格好でもない。 助けを求められそうな通行人も見当たらない。 お気に入りの水玉模様の傘だったが、諦める以外になさそうだ。 かわいいヒナを助けるための尊い犠牲ということにするしかなさそうだ。 予報ではこれから雨が降り出すようだし、急いで帰らなければと足を踏み出した。 瞬間、頬に冷たいものが当たる。 続いて、手の甲にも。 予報より早く雨が降ってきたようだ。 私は足早に曲がり角を曲がり、大通りに出る。 そこから駅に向かおうとした途端、ものすごい勢いで雨が降り出した。 『バケツをひっくり返したような』という、よく聞く言葉通りの激しい雨。 私は慌てて近くにあったお店の軒先に寄せてもらい、雨が止むのを待つことにした。 この雨では、傘があったってまともに歩けはしないだろう。 雨が止むのを待ちながら、背後にある店を覗いてみる。 今まで幾度となくこの道を通って来たが、目に入っていなかったのか、初めてそこにあると気づいた店だった。 雑貨屋だろうか?中は色々なものが所狭しと並べられている。 なんだか見ていたら興味が湧いてきた。 私はドアを開け、店の中に足を踏み入れた。 店内は棚が迷路のように並べられており、狭いながらもたくさんの雑貨が置いてあった。 私の他にお客さんはおらず、私はのんびりと店内を見て回った。 ふいに、少しだけ開けたスペースに出た。 そこにはレジがあり、小柄な白髪のお爺さんが座っていた。 お爺さんは私の方をみて、微笑んだ。 「いらっしゃい。何かお探しですか?」 優しい声のお爺さんだ。 「あ、いえ…。」 急に質問され、特に探しているものもなかったので言葉に詰まってしまった。 しばしの沈黙。 そこでふと思いついて聞いてみることにした。 「あ、でも、傘って置いてますか?」 その優しい声のせいだろうか、私は初対面のそのお爺さんに不思議な親近感を覚え、カラスを追い払った先ほどのエピソードについて話した。 「それは良いことをしましたね。 傘は残念でしたが、ヒナと親鳥もさぞ喜んでいることでしょうね。」 そう言いながら、店内の一角へと案内してくれた。 そこには、色とりどりのかわいらしい傘がたくさん並べられていた。 傘はあるかと聞いては見たものの大して期待していなかったが、どれもこれもかわいくて選ぶのに困ってしまうほどだ。 私は、雨宿りのお礼の意味も込めて、このお店で傘を買うことに決めた。 案内してくれたお爺さんにお礼を伝え、たくさんの傘を順番に手に取り、どの傘を購入しようか考えた。 しばらく悩んだ後、その中からベージュと淡い水色のツートンカラーの傘を選び取り、レジに向かった。 「これ下さい。」 おじいさんに傘を差し出す。 「はい。ありがとうございます。 八百円ですね。」 そんなはずはない。 聞き間違いだろうか? 「え?間違いじゃないですか?」 私は尋ねる。 持ってくる時に見た荷札には、確かに千五百円と書いてあったのだ。 「思いやり割引です。 尊い命を守ったあなたに。」 お爺さんは、片目を瞑り、ウインクをしてみせだと思ったら、そのまま有無を言わさずレジを打ち込んでしまった。 「あ、あの、ちゃんと払いますよ。」 「いえいえ、私の勝手な気持ちですので、どうぞお気になさらずに。 雨が降ると分かっていながら小さな命を救うために傘を手放したあなたの優しい気持ちへの感謝です。」 お爺さんからは、どうあってもこの値段以上は受け取らないというような決意が感じられる。 「そう…ですか。 では、お言葉に甘えさせていただきます。 ありがとうございます。 ゆっくり他の雑貨も見たいので、また改めてお邪魔させていただきます。 その時はちゃんと定価で買いますね。」 私は支払いをしながらお爺さんに言った。 「ありがとうございます。 まだ雨は続いているようなので、気をつけて帰ってくださいね。」 おじいさんに見送られながら、私はレジ前のスペースを離れ、店の入り口へと向かった。 窓から外が見える。 雨は少し小降りになったようだ。 これなら傘をさせば濡れずにすみそうだ。 私は、ドアを開けて外へと踏み出した。 購入したばかりだが、すでにお気に入りとなった傘をさして歩く。 ヒヨドリたちを助けたことがきっかけで素敵なお店とお爺さんに出会うことができ、素敵な傘を『思いやり価格』で買うこともできた。 自分でこんな事を言うのもなんだが、やはり良いことはするものだなと思った。 私は今日、傘を失ったマイナスを補って余りあるものを頂いたのだ。 そう思うと、自然と頬が緩んできた。 予報によると、雨はもうすぐ止むようだ。 私は、新しい傘を買ってもらったばかりの子どものように、もう少しだけ降っていてくれないかな、と考えながら、雨の中を気分良く家路に着いた。
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!

1人が本棚に入れています
本棚に追加