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大垣はぽかんと口を開けた。
「はあ・・・?」
「なぜか?といわれてもこちらが聞きたいくらいだが、そうなのだ。気がついたらこの世にいた。聞けばこの女は路上で気を失っていたそうだな」
「らしいです。誰かにおそわれたかもしれないって。でもはっきりしないみたいですけど」
「うむ。ここまで聞いてお主、どうじゃ?信じられるか?」
数秒の間をおいて出した大垣の声は、思いのほか冷静だった。
「にわかには。でも、俺、あなたと仕事してしばらくたつんですけど、どうも嘘をついてるようにも見えないし。あと、もし日向子さんが俺をからかって嘘ついてるんだとしたら、それはそれで面白いかなって」
安っぽい設定が笑えるし、という言葉は念の為飲み込んでおいた。
「そうか。お主は、すこし気が違っているようだな。助かる」
「恐縮です」
向かい合って頭を下げる二人は、一度お茶をすすった。
「それでな、私なのだが、どうもそのぉ、ぼんやりとだが、良い記憶がない。ほかの者に比べてあまり強くもなかったようだな。しょっちゅう偉そうな奴らにからかわれていた気がする。強い者だけが認められる世の中よ。私のような者は生きるのに苦労する」
「そうですか、時代っていうか、いつぐらいなんですかね、将軍の名前とか?」
「あぁ、名前は、何だったか・・・幼い将軍に変わったばかりだったかな。そんな記憶があるが・・・すこしな、薄れてきているのだ」
「中期かな。俺も詳しくないからなぁ。戦は無かったように思いますけど」
「ああ、無かったな。戦がない分、持て余した者たちも少なくない。それに武運をあげる機会もないからな、弱い家は弱いままだ」
「でも・・・お侍さんて、身分的には恵まれているんじゃないんですか?階級的には上なイメージですけど」
「偉い方々は知らぬが、私たちのような者を含め、商人や農民は階級ではなく、区別よ。家業というか、生まれた家の仕事を継ぐだけだ。それに、侍なんぞ農民がおらねば米が食えぬ。誰に生かされているのかわかるだろう。戦がない世では、侍なんぞ態度ばかり大きくてあまり好かれぬしなぁ」
不思議と会話が成り立っている。江戸時代はわりと今と社会としては近いのかもしれないな、と大垣は思った。
もし冗談だったとしても、それはそれで面白いとさえその時は思った。
一方、日向子(の中の侍)も、数ヶ月を大垣の横で過ごし、この男なら信用できそうだと思っていた。だけど本当に信じているかはまだわからない。信じないならそれも仕方がない。
期待せずにいればいいことだ。
「お前、本当に信じておるか?馬鹿げた話だと笑っても良いぞ。私は記憶を失って頭がおかしくなっただけのただの女だ」
「だから、さっきも言いましたけど、信用はしてますよ。それに、嘘ついてもあなたに利益が無いですし」
「あるぞ、体よくお前をあしらう、とかな。こんな気味の悪いおなごに近寄る者はおらぬだろうよ」
「それは、すみません。でも俺はけっこう本気なんですよね、困ったことに」
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