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「やはり、豆腐と菜っぱだな。あれを食べると落ちつく。ならばこれが私の記憶なのかもしれないな」
ある日の帰り道、駅まで歩きながらボソっと日向子がこぼした。
「あと、味噌汁ですよね」
「そうだな。あれは特別だ」
「お昼は持ってこれないからなぁ」
「・・・だけど、もうだいぶ味覚も記憶も薄くなっているな・・・」
下を向いた日向子が、気になった。
「ねぇ、たまには酒でも飲みませんか」
「大垣、大丈夫か?お前は酒が弱いだろう」
「はい。だから間違っても貴方をどこかに連れ込む心配もありません。殺されますんで。だから、安心でしょ?」
「ふん。では友として、酌み交わすとするか。ああ、ならうちに来ないか。見せたいものがある」
「俺が連れ込まれてますね」
「大丈夫だ。私が男を口説くことは無い」
電車に乗り隣の日向子を見ると、かつての眉間のしわはもうほとんどなかった。本来の日向子が戻ってくることを願っていた大垣だが、自分が知っている人とは違っていくのが少し寂しくもあった。もし彼がいなくなったとき、自分のことはどう映るのだろうか。
「電車もエレベーターも、もう平気なんですね」
「ん、ああ。そうだな、そういえばもうあまり気にならないな。私もずいぶん成長した」
「電車、辛そうでしたもんね」
「電車も車も、怖くて仕方なかったな」
「もし俺が貴方の立場だったら、気が狂っていたかもしれません」
「私も狂っていたよ。だけど、この女のことを色々と聞いて、何か役に立ちたいと思ったのだ」
部屋にはいると日向子と大垣はキッチンに並び、晩酌の用意をした。
大垣は、せっかくならと途中で買ってきた蕪で浅漬けと味噌汁を作った。
「簡単に何でも作るんだな」
「好きですから」
「どこか婿にでも行けばよいのに」
「ちょっと、貴方がそれ言うのは駄目ですよ。俺はまだ日向子さんのこと諦めてませんから」
「おお、そうか。それはすまない。諦めの悪いやつだな」
二人はちゃぶ台を挟んで杯を交わす。
「蕪は旨いな。お前が作る味噌汁が一番好きだ」
「その顔で言われるとよりうれしいですね。でも中身が男だからなぁ」
「それを言うな、友よ」
「ふふ、それでもまあ、うれしいですよ。貴方は良い人だから。あ、そういえば、見せたいものって何ですか」
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