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第3話 ビートル
翌週のひまわり畑。千鶴は怯んでいた。
うそ…。
葵にせがまれて、再びやって来たひまわり畑。バスを降りて、駐車場を横切って歩いていた時、その車が目に入ったのだ。
古い水色のフォルクスワーゲン・ビートル。
ナンバーは…、千鶴はさりげなく確認する。
同じだ。ってことは…。
葵は先へずんずん歩いている。千鶴はビートルの車内をこっそり伺った。
誰も乗っていない。だが助手席には麦わら帽子が置いてあった。15年前に私が投げ捨てたあの帽子が。もしかして再婚…してないのかな。私の麦わら帽子を新しい奥さんが使うとは思い難い。
ドキドキする。ここで再会なんて悪夢だ。
「あおいーっ!」
先を急ぐ葵が振り返る。
「お母さん、またあそこのベンチに座って待ってるからー」
「はーい、りょーーかい!」
葵は嬉しそうに迷路の入口に向かう。ま、親と一緒にいたい年頃でもないから丁度いい。
顔を隠すように日傘を差し、千鶴はベンチで固まっていた。何もしたくないし考えたくもない。やはり、ひまわり畑を直視できない。単に娘が戻って来るのを待つだけだ。
ふーっ。考えまいとしてもどうしても思い出してしまう15年前。他に手がなかったものだろうか。もし彼が未だ独身なら…、いやそんな厚かましい事出来やしない。でも独身だったらその意味するところは…。いや、離婚は私から言い出したようなものだ。何を今さらって思われる。何回考えても堂々巡り。そんな時間が1時間くらい経過したとき、
「お母さーん」
駐車場の端っこに、葵の姿が見えた。その後ろにもう一人。男の子に見える。
目の前までやって来た男の子はぺこりと頭を下げた。葵が興奮気味に言う。
「お母さん、ちょっと紹介したいの。小谷日向君。迷路のマイスターなんだって。前に来た時に知り合ってさ、今日また会ったの。ここから車でね・・・」
まくしたてる葵の言葉が耳に入ってこない。小谷日向…。忘れる筈のないその名前。こんなに大きくなってる。面影が残っていて眩しい…。
だけど、だけどこれって神さまの悪戯?悪戯にしては酷すぎる。やはり水色のビートルを見たところで引き返せばよかったんだ。どうしたら…。
取り敢えず落ち着こう。日向は私を知らないのだから。千鶴はありきたりの質問をする。
「あの、どこから来たの?」
葵が呆れた顔をする。
「さっき説明したじゃない」
「そうだっけ?」
すると、当の日向が助けてくれた。
「市内からです。車で来ました。父さんの車なんですけど、エアコン入れてくれないし、しょっちゅう故障するから大変です」
「そうなの」
「買換えたらって言うんですけど、父さんいろいろ理屈こねて拒否するんですよ。その車が好きなんだと思いますけどね。でも僕は後ろ席専門で、窓も開かないしシートベルトなんてペロッとした紐みたいだし、友だちには『社長かよ』ってからかわれるし散々ですよ」
「後ろ席専門?」
「はい。危ないからとか言って助手席には乗せてくれないんです。助手席にはいつも麦わら帽子が置いてあって、自分じゃ被らないくせに意味わかんないです」
喋り続ける日向が、かつての健を思い出させる。健もこうだった。でも助手席の麦わら帽子。その意味って…。
「あの、父さんも海の方にいると思うので連れてきます」
「え?」
日向は葵に声を掛けると、ひまわり畑の方へ駈け出した。父さんを連れて来る…? それは困る。千鶴は背筋をしゃきっと伸ばした。
「葵、帰るよ」
「え?」
千鶴は立ち上がり、葵の手を取った。葵は抵抗する。
「ちょ、ちょっと。日向クンがお父さん連れて来るって言ってたじゃん」
「ごめん。この空模様はとっても怪しい。とんでもないものが降って来るかも知れない。バスも本数ないから」
「えー?」
千鶴は葵を引っ張って歩き出した。
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