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家具がなくなった部屋の真ん中には、衣類や小物類を詰め込んだシュゼットの荷箱が二つとミルッカの小さな荷箱が一つ、ぽつんと置かれていた。
差し込む夕日に照らされながら、荷箱に腰掛けたシュゼットは、初めてこの部屋へ来た日のことを思い出していた。
シュゼットが、十歳の時のことだ。
鉱床調査をする父に従い、母とシュゼットは隣国の鉱山町に滞在していた。
そこは自然に溢れた山岳地帯で、シュゼットは、ミルッカやヨルディスを連れ毎日のようにピクニックを楽しんでいた。
悲劇は、突然訪れた。
鉱山で崩落事故が起こり、坑道の様子を見に行っていた父とたまたま忘れ物を届けに行った母が、事故に巻き込まれてしまったのだ。
シュゼットの両親を含め、老若男女合わせて九名が事故で命を落とした。ほかにも、二十名あまりのけが人が出た。
事故は偶発的なことであり、安全責任は鉱山の開発会社にあった。
シュゼットの父が経営する鉱床調査屋には何の落ち度もなかったが、セレドニオは事故の犠牲者やその家族に多額の見舞金を配り、彼らが路頭に迷うことを防いだ。
「旦那様、いつも仰っていらしたように、誰も暮らしに困ることがないよう、わたしが始末をつけました。これでよろしゅうございましたか?」
そう父の墓前で問いかけていたセレドニオの後ろ姿を、今もシュゼットは覚えている。
皆が、悲しみをこらえながら鉱床調査屋を閉めて資産を整理し、使用人たちの身の振り方もあらかた決まったところへ、ラペルトリー伯爵がやってきた。葬式には、顔を出すこともなかったのに――。
そして、ミルッカと共にセレドニオが用意した家に移り住む予定だったシュゼットを、養女として自分の邸に引き取ると言い出したのだった。
「シュゼットは、レドレル公爵様の許婚だというではないか。いずれは、貴族の身分が必要になるだろう。我が屋敷へ引き取り、わたしの娘として貴族令嬢に相応しい教育をきちんと受けさせ公爵家へ嫁がせるつもりだ。わたしが義父となり、シュゼットとその資産をその日まで管理しよう」
伯爵は、ひとりぼっちになってしまった姪の心優しい後見人として、役場や母の実家などをまわり、シュゼットを養女にする話をまとめてしまった。こうしてシュゼットは、義父母や義姉たちの暮らす伯爵邸へ迎え入れられた。
シュゼットが心細いだろうということで、独り身だったミルッカとオラヴィが一緒に伯爵家へ行くことになった。
そして、六年――。
幸せな花嫁としてではないが、シュゼットはようやくこの屋敷を出て行くことになった。
(お義父様は、わたしを通してレドレル公爵家に近づきたかっただけなのだわ。だから、公爵家との縁が切れた今、わたしは必要なくなったというわけ――。もう子どもではないのだもの、物のようにやりとりされるなんてご免だわ! 今度こそ、自分の力で生きていく方法を考えなければ――)
シュゼットは、ドレスの胸元に手をやると、布地の下にあるものをそっと握りしめた。
冷たいはずのそれが、シュゼットの手に温もりを伝えてきた。
幼い頃はそれを不思議に感じたものだが、今ではその温もりに勇気づけられている。
知らないうちに頬を伝っていた涙を温もりが残る手でぬぐうと、シュゼットは力強く立ち上がった。
彼女には、今日のうちにぜひ行っておかねばならない場所があった。
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