6 赤頭さん②

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 シュゼットは、小さな溜息とともに燭台の灯りを消し、食料貯蔵庫の外に出た。  イベッタが、厨房の隅で料理人見習いのルキーノともめていた。 「どういうことなの、ルキーノ? 塩漬けのオリーブも鹿の干し肉も手に入らないって――」 「どこかのお屋敷で、盛大な夜会が開かれるとかで、買い占められちまったようです」 「ほかの店は回ってみたの?」 「三軒ほどあたってみましたが、どこもとんでもない高値をふっかけてきました。買い占められたことがわかって、どんな値段でも売れると踏んだようです」 「仕方ないわね――。奥様のお誕生日の献立は、別のものを考えるわ」  赤頭さんが去ってしまった影響が、早くもこの屋敷に現れつつあった。  おそらく伯爵夫人の誕生日の料理が気に入らず、娘たちはイベッタに文句を言うのだ。それが元で大きな争いが起き、イベッタが屋敷を去ることになるのだろう――。  明日ここを出ていくシュゼットには、もう関係のない話だった。  シュゼットは黙って厨房を出ると、離れに向かって歩き出した。  離れからは、柔らかな光が漏れていた。  ミルッカとオラヴィが、家具類の運び出しの手伝いを終えて戻ってきたのだ。  シュゼットは、早く二人に会いたくて弾むように渡り廊下を駆けていった。  *  翌朝――。  小鳥のさえずりで目覚めたシュゼットは、着替えをすませると庭へ向かった。  早起きのジョエレは、庭の隅に作られた薬草園の世話をしていた。  シュゼットが来たことに気づくと、作業の手を止め挨拶をした。 「おはようございます、シュゼット様――。今日、お屋敷を出て行かれるという噂は、本当だったんですな?」  野良着ではなく珍しくドレスを着たシュゼットを見て、ジョエレは寂しそうに言った。   「ええ――。ジョエレ、長い間ありがとう。あなたが、庭仕事や野良仕事を教えてくれたことにとても感謝しているわ。これからの暮らしでも、きっと役に立つと思う」 「いいや、こちらがお礼を言いたいくらいですよ。シュゼット様には、草や木の声が聞こえるのかなと思ったことが何度もありました。ずいぶんと助けていただきました」  それは本当のことだ。シュゼットは、いつでも必要な世話を的確に言い当てた。  もちろん、草や木と話をしたわけではない。  庭に住む妖精たちが、日当たりや水が足りないことなどをシュゼットへ知らせに来ていたのだ。  シュゼットは、それを自分の考えとしてジョエレに伝えていた。  今も、シュゼットの目の前にはたくさんの妖精たちが、別れを惜しみにやって来ていた。 「ジョエレ、あなたが長らく世話をしてきたこの庭は、たくさんの生き物たちの憩いの場になっているようね。わたしもここに来ると、いつも優しい気持ちになることができたわ――。草や木や、それからここに集まるものたちのために、いつまでも手入れを続けてね」 「もちろんですよ。いつでもまた遊びに来てください、シュゼット様」  シュゼットは、ジョエレと妖精たちに心を込めてお辞儀をし離れへと戻った。  これで、シュゼットがこの屋敷を去る準備はすべて整った。  後悔や迷いはもうない。  シュゼットは新たな世界へ向けて、清々しい気持ちで最初の一歩を踏み出そうとしていた。
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