2 消えた婚約

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2 消えた婚約

 野良着からドレスに着替え、頬の泥をぬぐい薄化粧したシュゼットが、義父の部屋を訪れると、そこには義父母と二人の義姉が待っていた。  なぜか、公爵家の使者の姿はなかった。 「遅いですよ、シュゼット! 私たちを待たせるなんて、どういうつもりですか?」 「どうせまた、裏庭の畑でも耕していたのでしょう? 野良仕事など何が楽しいのかしら?」 「着替えてもたいした違いはないのだから、野良着のままで来ればいいのに!」  義母や義姉たちの嫌味は、いつものことだ。  こんな言葉で、シュゼットが落ち込むことはない。  お辞儀をした後は、視線を下に向け高級そうな絨毯の花模様を眺めていた。  「コホン」と一つ、小さな咳払いが聞こえた。  この後、口ひげをひねり、少し唇をなめてから話を始めるのが義父の癖だった。  シュゼットは顔を上げ、彼の言葉を待った。 「シュゼット、先ほどレドレル公爵家から、お使者がおいでになったことは聞いているね?」 「はい、お義父様(とうさま)」 「お使者のご用件は、もちろん、公爵様とおまえとの婚姻に関することだ」 「婚礼の日取りが、決まったということでしょうか?」  今度は、プフッと吹き出す音が聞こえた。  シュゼットが思わず目をやると、義母と義姉たちが、めくばせし合いながら笑いをかみ殺していた。  義父は、それには気づかなかったように重々しげな声で話を続けた。 「そうではないのだ、シュゼット。おまえにとっても、このラペルトリー伯爵家にとっても、大変残念な話なのだが、公爵様はおまえとの婚約を白紙に戻すと仰せだ。お使者は、陛下が承認された正式な『婚約解消届』を持ってこられた。公爵様からおまえへの伝言として、『どうか自分のことは忘れて、良き人と縁を結ばれるように』というお言葉をいただいた」 「り、理由を……、理由をうかがってもよろしいでしょうか?」  胸の震えを必死で押さえながらシュゼットが問いかけると、義父は、ひどく悲しげな顔になり答えた。 「理由は何も仰らなかった。こちらから尋ねるのは失礼に当たるから、ただ黙って仰せに従うしかなかったよ。なにしろあちらは、由緒ある公爵家なのだからね――」  二人の婚約を証明するものは、公爵家から届いた「婚約成立書」のみ。  シュゼットは、会ったこともない公爵に対し特別な感情を抱くことはなかったが、優しい人物なのだろうとは思っていた。  なぜなら、毎年シュゼットの誕生日には、宝石をあしらった凝った細工の装身具とともに、「あなたがこれを身につけて、嫁いでくる日を待っています」という手紙が必ず届けられていたから――。  それが、なぜ突然このようなことになったのか――。  めったに邸から出ることもないシュゼットには、思い当たることなど何一つなかった。
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