第二章 草原の戦い 1

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第二章 草原の戦い 1

「ご覧くださいヒューガンさま、愚か者どもがとうとう追い詰められ始めましたぞ。これで奴らも最期です、あと一刻から二刻もあれば全滅いたしましょう。その瞬間からわれらは官軍となり、敵は賊軍。敗走していった者どもも賊徒として徹底的に追い詰めてくれましょぞ」  乱戦中の両陣営を見降ろしながら、カーラム家の執事ロンゲルが戦場を指差しながら主人に笑いかける。  帷幕のある高台からは、敵の騎士団が徐々に戦場から離れて行くのが見て取れる。  真っ先にその動きを見せたのは「神狼傭兵騎士団」だった。 「なんと情けなや、所詮は傭兵などいざとなれば当てにはならん。いまはシャザーンまでの長い道のりを惨めに逃げ落ちて行くがいい。やがて追い詰めて、アムンゼイの首をトールンへ持ち帰って晒してやる」  将軍にでもなったつもりなのか、ロンゲルが片頬を歪めながら、離脱して行く神狼傭兵騎士団を蔑む。 「あの気位の高いオルベイラ候までもが、陣を退く気配だ」  聡明な顔をした若者が驚きの声を上げる。  ザンガリオス家の若き家老、リネルガ・デゥ=ククル伯爵だ。 「この戦況を考えれば当然のことだろう。しかしあの尊大ぶった訳知り顔の皺首は、今宵の酒宴には並ばぬようだな」  叛乱上洛軍の首魁、前大公の嫡男ヒューガン・フォン=サイレンが残念そうに言う。 「今日は逃げられてもとことんまで追い回し、一族一門もろともこの世から消して見せます」  ワルキュリア家の外戚であるホワイティン男爵が、眼を鋭く細めながらそう言い放つ。 「やはり聖龍騎士団は、最後まで戦うつもりのようだな。イアンの性格からすればそれも無理からぬことであろう。武門一族の融通の利かん奴だからな」  ヒューガンは小者に冷えたキャリム水を注がせ、一気に呷った。 「なにも命を粗末にせずに逃げればいいものを、武人と申すやつらは何故にこうも死にたがるのか。わたしにはとんと理解できん、あ奴らは馬鹿なのでしょうかな」  ザンガリオス家の当主ペーターセンが、眉をひそめて横のフライデイに訊く。 「ははは、そんな馬鹿がいるから、われらはこうして高みの見物をしていられるんじゃありませんかペーターセン殿。われらの代わりに戦ってくれる馬鹿どもがいるから──」  フライデイ・フォン=ワルキュリアが、皿に盛られた白葡萄を口に運びながらペーターセンに応える。 〝やはりこの方たちはおかしい、こんな人たちが政を思うがままにしたらサイレンは滅んでしまうぞ〟  それを聞いていたアルファーは心で呟いた。 〝ご舎弟さまはそれが分かっていたから、最後まで加担することを反対なされたのではないか。やはりウェッディン家はこの乱に加わるべきではなかった・・・〟  ウェッディン・サイレン家の家令アルファ―伯爵は、いまこの帷幕内にいる自分の愚かさに愕然としていた。 「あのイアンめの糞生意気な首を眺めながら、勝利の宴を盛大に開こうぞ、さぞや酒が美味かろう。カーベリオスの白髪首もその内手に入るだろうから、先のクローネの首と三つ並べてされこうべの燭台でも造るか。宰相のクリウスは最後まで生かしておいてやろう、自分に加担した者たちが死んでゆくさまをとっくりと見物させてやる」  ヒューガンが残忍そうな笑みを浮かべる。 「星光宮に入城なされた後の、大公アーディンさまの処遇は如何されるおつもりか」  ペーターセンが興味深そうに問いかける。 「あの脳なしめか──、一体どうしてやろうか。宴に呼んで一緒に戦勝を祝わせるのも一興だな、どうせ近いうちにサイレン公国への叛逆罪で斬首にする積もりだがな」  暗黒大陸の泥にまみれた河川に棲息する、コンゴール大鰐のようなぞっとする無機質な瞳が嬉しそうに窄められる。 「やはりアーディンは殺すのか。戦に加担しているわけでもなし、ちと可哀そうな気もするが──」  ジョージイーが気の弱そうな顔で俯く。  自分で騙しておいて、ここに来て良心の呵責にでも苛まれているのか顔面が蒼白となっている。 「いまさらなにを言っているんだジャージイー殿、あのたわけ者を殺さねばあなたは大公にはなれぬのだぞ、そんな弱気なことでどうされる。毒を喰らわば皿までと申すではないか、ここに来て怖気づかれたのではないか」  冷ややかな目でヒューガンが睨む。 「やれやれ、新大公にならんとするお方がこんな小心者では、この先が思い遣られますぞ。しっかりなされませジョージイーさま」  謀臣ロンゲルが陪臣(またもの)の身でありながら、偉ぶった口調で意見をして来る。 「ロンゲルのいう通りだ、われらの意に染まぬものはみな粛清してしまえばいい。貴族どもに操られるようなリム家など滅んで当然。ましてやサイレンの名に属さぬものの命など、なにほどの物でもない虫けら同様じゃ、のうヒューガンさま」  フライデイが媚びるように、ヒューガンの冷たく傲慢な顔を伺う。 「ふはは」  ヒューガンが鼻の先で笑う。 「もう後戻りはできんのだ、腹を括りなされ」  青い顔で震えているジョージイーを、うんざりした顔で見下す。 「わ、分かっている、いまさら後へは引けんのはな。ただ子供の頃から兄弟同然に育ってきたのだ、あ奴が死ぬところなど見たくはない、わたしはその場には立ち合わんぞ。あなた方で好きにされるがよかろう──、おいアルファー、アルファーはおるか」 「はい、ここに――」  他の人々から離れ、一人帷幕の隅にいるアルファーが返事をする。  家令の姿を見つけると、ジョージイーは自ら近寄って行く。 「のうアルファー、もしかしたらわたしは大変な過ちを犯したのではあるまいか。フェリップの申す通りであったのかもしれん、ここにおる者たちはみな悪人じゃ。わたしはどうすればよいのだ」  ジョージイーが耳元で囁く。  主人の怯え切った声を聞いて、アルファーは顔を引き締めた。 「わたしも先程からそればかり考えておりました、殿は甘言に惑わされ間違った選択をなさったのです。ご舎弟フェリップさまと協力し、大公殿下にこの陰謀を打ち明けられ、宮廷側にお味方するべきだったのです。このあと殿が大公になられた所でやがてはあの者どもに良いように使われ、いまのアーディンさま同様、ウェッディン家もろとも滅ぼされてしまいますぞ」  表情はほかの者に気付かれぬよう平然を装いながら、ひそひそ声で会話する。 「では、どうすればよいのだ。あと一、二刻もすればイアンたちは敗れ去ってしまい、もう取り返しがつかんようになってしまうぞ」 「殿、わたしはここを抜け出し、市内のご舎弟さまの所へ行って参ります。そして今後の善後策を検討いたしましょう。殿はなるべく当り障りのないよう、これまで通りお振舞いください。一刻、いやどう遅くても二刻以内には必ず戻ります」 「頼むぞアルファー〝兄が浅はかであった、すまぬ〟そうフェリップに伝えてくれ」 「分かっております。わたしはこれから一芝居打ちますので、殿はなるべく冷淡にお接し下さい。心変わりしたことは、けっして感づかれてはなりませんぞ」  縋るような目でジョージイーが頷く。
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