最終話

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「さて。もはや長居は無用。ラティミーナ・マクリルア伯爵令嬢。我と共に、魔界へ参ろうぞ」 「……! 人間である私が、魔界に足を踏み入れさせていただいてもよろしいのですか?」 「無論。魔界の王たる(われ)が許す。文句を言う奴は、(われ)が手ずから焼き払ってやろう」 「焼き払うだなんてそんな、かわいそうではありませんか……?」 「そなたがそう言うのであれば、やめておくことにしよう。……では、そなたに触れるぞ、ラティミーナ嬢。何か不都合があれば、決して我慢などせず我に知らせるのだぞ」 「はい、ウィゾアルヴァールド様」  うなずいてみせた途端、膝裏をさらわれて抱え上げられた。初めてされるお姫様抱っこに慌てふためき、思わず魔王に抱きつく。  魔王は様々なハーブの混ざったような、爽やかな香りがした。初めて嗅ぐその香り、そして美しい顔との距離の近さに心臓が騒ぎ出す。  ラティミーナが緊張感に固まるそばで、魔王の背中に魔法の光の粒が収束していき――真っ黒な翼が出現した。  大きなそれを一度羽ばたかせれば、部屋の隅に立ち並ぶ人々の服が揺れる。  それと同時に魔法の光の流れが壁をなぞっていき、庭に面した窓が一斉に開いた。  ラティミーナを横抱きにした魔王は顔だけで王子に振りむくと、軽く頭を下げた。 「では、これにて失敬。不可侵条約を破った詫びは、改めてさせてもらう」 「ま、待て! ……『ラティミーナを連れていかれてたまるか! 世継ぎは顔のいいラティミーナとの間でつくる予定なのに』、……はっ!?」  魔王を引きとめようとする王子に、ラティミーナはまたしても魔法を掛けたのだった。 (私を封印しておきながら、そんな将来まで思い描いていたなんて)  あまりに身勝手な発想に、気色悪さを覚えて頬が引きつりそうになる。  あたふたと口を押さえる王子の横で、モシェニネが握りしめた両手を上下にぶんぶんと振って怒り出した。 「ディネアック様!? 『側妃なんかいらない、お前がいればそれでいい』って言ってたのもウソだったんですか!? もう、信じらんない!」 「いや、今のは! あいつが勝手に捏造した発言であって……!」  ぎゃあぎゃあと言い争いをする声を聞きながら、ラティミーナは翼を羽ばたかせはじめた魔王の腕の上でそっと微笑んだ。  旅立ちの空は、雲ひとつない快晴だった。  ラティミーナが初めて味わう浮遊感に緊張していると、ふと、息を噛み殺すような声が聞こえてきた。  意外な音に、顔を上げる。すると魔王はなぜか涙目になっていた。肌が白いせいか、赤らんだ目元は紅を引いたかのようにも見える。 「どうされました、ウィゾアルヴァールド様!? どこか痛めてしまわれたのでは……」 「いや、先ほどの、牢から出た瞬間の光景を思い出してしまってな……」  魔王は長いまつげを何度も上下させると、うるんだ黄金色の瞳でラティミーナを見つめはじめた。
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