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町娘の護衛騎士
レイとはその後もたびたび出会い、そのたびに会話を交わして気兼ねない仲になっていった。
私が酒場で働いているため顔を合わせるのは夜に限られ、都度「女性のひとり歩きは危険だ」と苦言を言うレイが私の送迎を始めるまでそう時間はかからなかった。
それまでは店主や帰り時間のかぶった常連客が送ってくれたりしていたが、それもなくなってしまった。
「では騎士様、フランをよろしく頼みます」
「この身に代えてもお守り致します」
「も〜。二人ともやめて下さい〜」
私とレイの仲をおもしろがる店主はいつもこの調子で、レイは本気なのか冗談なのかわからない返しをする。
毎日繰り返されるこのやりとりが、私はただ気恥ずかしくて仕方がない。
「私は貧乏な庶民です。ご令嬢と違って守っていただくほど危険な目には遭いませんよ」
そう言うと、店主とレイは急にまなじりを吊り上げて私に詰め寄った。
「何を言ってるんだバカ野郎! 人を襲うやつは庶民も貴族も関係なく襲うんだぞ!」
「そうですよフラン。僕ら騎士は庶民を守るのも仕事なんです。だいたい君は、自分の魅力を――」
男二人に押されて私が逃げ場なく受け身になっていると、パンパン! と手を打ち鳴らした音が響いた。
店主とレイの後ろで、店主の奥さんがため息をついていた。
「はいはい、あんた達。その守るべき年頃のお嬢さんを早く帰してやんなさい」
奥さんは私に料理の入った籠を持たせてくれる。
「お母さんの分ね。明日もよろしくね、フラン」
「はい! よろしくお願いします」
奥さんの登場に背筋をぴんと伸ばしていた店主は、私の頭を無造作にかき混ぜて仕事へと戻っていった。
レイはそんな私の髪をさらさらと直してから、私の持つ籠をさりげなく持っていってしまう。
髪に触れた優しい感触に、わずかに鼓動が早くなる。
「行きましょう」
「う、うん」
先を歩くレイは賑やかな王都の通りを堂々と歩く。
時間が時間なために出歩いている者は酔っ払いが多いが、皆レイの隊服を見て道を空けた。
私は自分より少し高いレイの背中を見つめて、騒ぎ出す胸の鼓動に恥ずかしくなり、目をそらした。
「……フラン、常々思っていたんですが」
唐突にレイは、私を振り返ることなく口を開いた。
「日中だけの仕事には変えられないんですか? ここはまだ明かりのある通りですが、この時間はこんなにも酔っ払いが多い」
「そうですね」
「フランがこの時間まで働かなくてはいけない理由はなんです? いつも料理を持たされているということは、家には母君がいるのでしょう?」
「……うん、いるよ」
――母は、たしかに家にいる。
けれど、私が生まれる前から病弱な体質で、外で働くにはあまりにもその日の体調に左右された。
父がいるうちはもちろん父が稼いできていたが、そんな父も数年前に不慮の事故で死んでしまった。
残された母は私を育てるために働き出し、さらに体調を崩す毎日。父が亡くなって間もないこともあった。
そんな母を見ていられず、今の酒場で働かせてもらうようになったのだ。
店主も奥さんも私の家の事情は知っているので、ずいぶんと優遇してもらっている。
「あ、言いたくなければそれで……フラン、大丈夫です」
黙り込んでしまった私に、レイは焦ったように振り返った。
その困り顔がなんだか可愛らしく、私は小さく笑った。
「母は病弱なの。だから私が働かなくちゃいけないの」
「そうでしたか……。無礼にもフランの事情に踏み込んでしまい、申し訳ありませんでした」
レイは律儀に頭を下げた。
騎士に頭を下げさせるという構図に今度は私が焦ってしまい、レイの顔を上げさせるのと同時に手を引っ張った。
見ているのは酔っ払いだけれど、噂はどこから広まるかわからない。
人の目のないところまでレイの手を引いて二人で走った。
王都の通りを抜けると途端に明かりが少なくなり、人気もなくなる。
私は足を止めると空気をたくさん吸い込み、切れ切れの息を整えた。
レイはさすが騎士なだけあり、肩が少しも揺れていなかった。
「フランは足が速いですね」
「息も切らさず、平然とついてくるレイに言われたくないわ……!」
「僕は鍛えてますから」
ふぅーっと大きく息を吐く。
少しずつ私の呼吸が整うのを確認して、レイはまた歩き出した。
私もその後に続こうとするが、足元がぬるりと滑った。
「きゃあっ!」
「おっ……と」
咄嗟にレイが手を掴んでくれ、私は転ばずに済んだ。
「今日は夕立が長く続いていましたから、整備されていないこの道はぬかるんでいますね」
「びっくりした……。レイ、ありがとう」
「いいえ。……――」
レイは掴んだ私の手を見つめていた。
まるで貴族のエスコートのように、レイの手が私の手の下にあった。大きな手にすっぽりと包まれている。
レイは髪色が綺麗なだけでなく、顔立ちも騎士にしてはもったいないくらいに整っていた。
私は向かい合う近さにそれ以上耐えられず、手を引っ込めようとした。
「待って」
レイの手が私の手を掴み直した。
今度はエスコートとは違う、手のひらと手のひらを重ねた普通の繋ぎ方。
前を歩いていたレイが私の横に立った。
「ぬかるんでいますから。念のために」
歩き出すと、わずかに肩が触れる。
私は意識せずにはいられず、一歩離れた。それからは何もしゃべることができなかった。
レイも何か思うのか、言葉数がとても少なくなった。
繋がった手のひらは熱を持ち、夏の暑さの中だというのに、それでも離したくないと思った。
恥ずかしくてどうしようもないのに、私よりも大きなその手に、いつしか安心感を覚えていた。
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