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騎士との約束
国は着々と隣国を迎え撃つ準備をしていた。
以前の王都と比べると変化は歴然としていて、ピリピリと嫌な空気が漂い始めた。
いつ隣国との戦争が始まってもおかしくない。
誰しもが計り知れない恐怖に身を震わせ、徐々に王都から逃げ出していった。
やがて国からも正式な避難勧告が出され、私も王都を出ざるを得なくなってしまった。
「用意した馬車はこちらに」
代理の騎士が私の母を支えてくれ、まとめた荷物もすべて馬車に積んでくれた。
レイが用意したという馬車は庶民から見ると気後れするほど豪奢なもので、北の地までさらに護衛もつけるという。
やりすぎだと思う反面、レイの「近づきすぎた」という言葉を思い出せば、私はかなり危うい立場にいることを思い知る。
「そろそろ出発します」
御者の合図で、馬車は緩やかに動き出した。
けれど、代理騎士がすぐに「待て」と声を大きくしたことで御者はすぐに馬を止め、私は窓からその理由を知った。
「……――!! レイ!」
扉を開くのももどかしく、代理騎士の差し出してくれた手を素通りして馬車を飛び降りた。
外套のフードをまぶかく被って顔まで隠していたレイは、駆け寄る私にフードを外した。
その出立ちが、今までの騎士のレイとは違っていた。
私はその威厳に冷静さを取り戻して、レイの前で最大限の礼儀をわきまえた。
「……馬車や、必要なものを見繕っていただき感謝致します。レインズフォード殿下」
「構わない。顔を上げて、フラン」
差し出された手は私の頰に触れる。
ほとんど外套に隠れて見えないが、唯一出された腕はいつもの隊服ではなくなっていた。
金糸の刺繍が入った袖口は白いジャケットで、中のシャツはレイの髪色に寄せたワインレッド色。
刺繍の緻密さから、それがどれだけ質の良いものかがわかる。
「僕が王子だって、聞いたの?」
レイがちらりと見やるのは代理騎士だ。
普通は王族にそんな視線を向けられたらすくみ上がりそうなものだが、代理騎士は怯むことなく胸を張っていた。
「いえ、お名前だけです。騎士様からは何も聞いていません」
名前と、その髪色だけで十分だった。
レイには二人の兄王子がいるが、そのどちらも国王と同じ金の髪色だ。対してレイの赤銅色は国王妃の遺伝となっている。
第三王子であるレイはあまり社交界に顔を出さないようで、外見的特徴として知れ渡っていたのはその髪色だけだった。
名前も「レイ」と名乗られ、騎士として出会ってしまったので、私が気づくはずもなかった。
「僕が王子でがっかりした?」
レイは不思議な質問をする。
質問をしておいて、私の答えを聞く前に「いや……」と自ら否定した。
胸に手を当てた敬礼の姿勢を、私に向けた。
「僕がフランの騎士でいたかったんだ。何よりも、僕が……」
私はあの日のレイの悲しげな笑顔を思い出した。
たまらず、胸がぎゅっと締め付けられた。
「殿下、今だけ無礼をお許しいただけますか……?」
私の言葉に、レイは片手を上げた。
代理騎士や護衛達が皆、会話が聞こえないだろうほどに距離を取った。
「無礼って、何?」
「レイって呼んでいいですか?」
「僕は最初から、そう呼んでほしいと伝えていたよ」
私は溢れんばかりの気持ちでレイに抱きついた。
レイは優しく抱きとめ、以前とは違う力強さで私を引き寄せた。
「レイ、会いたかった」
「僕も会いたかった。危険に巻き込むかもしれないからと遠ざけたのに、君のことを忘れる日は一日もなかった」
「私もだよ。私もレイのことを考えない日はなかった」
レイが私を抱きしめる腕に力を入れると、体がぴったりと密着する。足が浮きそうになり、つま先立ちになるほどに。
レイは私の肩に顔を埋めると、震える声で言った。
「僕はこれから、兵隊長と共に隊を率いて国境へ赴かなければならない」
「国境へ……? 前線に出るの!?」
「そう。だから、その前にフランに会えてよかった」
「なぜレイが前線に? あなたは王子なのに!」
「王子だからだよ。士気を高めるためにも僕が行かなきゃ。最悪、僕がいなくなっても……兄上達がいるから」
レイの最後の言葉に血の気が引いた。
けれどそれはすぐに怒りに変わり、私を抱きすくめるレイの肩を力いっぱい押してその腕から逃れた。
正面からレイの頰を両手で掴むと、ぐっと引き寄せた。
「レイはレイなの。たとえ『王子』の代わりが他にいても、あなたはあなたしかいないの!」
ぽかん、と口を開けたレイは見たことないほどに間抜けな顔をしていて、騎士や王子とも違っていた。初めて、私と同じ年相応な少年に見えた。
レイは頬を掴む私の手に自身の手を重ねると、愛おしそうに頬擦りをした。
「フランがそう言ってくれるだけで、僕は十分なんだ」
「そんなことで満足しちゃダメ!」
「じゃあ、祈っててほしい」
レイは私の手を名残惜しそうに頬から外すと、指先に軽い口づけをした。
「僕が死なないように。どんなことがあっても、帰ってこられるように」
「もちろん、毎日祈るわ」
「ありがとう。――……僕は、自惚れてもいいんだよね」
伏せられていたレイの瞳が静かに私に向いた。
見据える赤銅色は赤が深く、見つめれば見つめるほどに奥深く澄んでいる。やっぱり、私の瞳を綺麗だと言ったレイの色こそ、私は綺麗だと思った。
レイも、私の瞳を深く覗き込んでいた。
「離れていても、近くにいても。僕のことを想ってくれる? ずっと、この戦争が終わっても、ずっと――」
言い終わらぬうちに、私の頬にはいくつもの涙が伝っていた。
締め付けられる胸がとにかく苦しくて、簡単に声を出させてはくれなかった。
「……私はレイのことを、誰よりも想い続けるよ」
振り絞って出した言葉はあまりにもか細い。
レイに伝わるだろうかと心配したが、ちゃんと伝わったようだった。
レイは自らの右手の小指にあった指輪を外した。魔法石の指輪だ。
それを、私の薬指にはめこんだ。
「僕も君を想う。何よりも愛しい、僕のフランチェスカ――……」
レイは私の手の甲に涙の粒を落とし、そして誓いの口づけをした。
「必ず迎えにいく。北の地で会おう」
指輪の魔法石の中で、赤銅の炎が力強く揺らめいていた。
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