夏の牢獄、まだ見ぬ花火に君を描いた

第一章

＊

　僕の部屋にある大きめの本棚は、特に言うことのない普通の木目調のインテリアだった。
　それでも、黒猫のブックスタンドを使ってこの本棚を整理すると、新鮮味があって、僕の部屋の一角に新たな世界が広がっていた。
　ようするに、部屋がすっきりして、自分が持っていた本の数やジャンルの傾向、よく読む作者がひとめでわかるようになった。
　そして、お金の他の使い道や興味がほぼないとは言え、高校生ぶんざいでここまでよく本を集めたものだなと自分のことながら驚いていた。
　ブックスタンドを買ったはいいけど、増えた本の山をきれいに配置しなおせる自信がなくて、ようやく重い腰を上げたのは今日だった。
　眠気がしてきたけど、せっかくここまで整理して中途半端に残すのもきりが悪いため、今日中に終わらせたかった。
　本棚の手前に積まれた残りの本の山を、背表紙が見えるように一番下の段に詰めていく。
　それから、余ったブックスタンドを真ん中に立てかけて目算する。さすがにもう少し端に置かないと全部入らないか。
　僕は片付けの立役者である、この黒猫のシルエットをしたブックスタンドを本当に気に入っていた。
　たしかにこんな可愛いものを使うのは、僕には似合わないかもしれない。
　でも、ろくに友達もいない僕が、そのことを言いふらされたところでどうなると言うんだ。
　思わず笑ってしまうような変な脅しをする人もいるものだな。

……言いふらされる、だって？
　言いふらすって、いったい誰が？

　僕の本をしまう手がピタリと手が止まって、何とも言い難いもどかしさを全身が駆け巡った。最近、他にもどこかで首を傾げた気がする。
　本当に途中で急に手を止めたものだから、パタパタと本が不規則に倒れていく。
　その拍子に、縦に積んでいた本の数冊がなんと手前に吹っ飛んできて、その内の一冊が僕の膝に直撃した。
「痛った……」
　なんて乱暴なピタゴラスイッチだ、と思いながら、膝にぶつかって落ちた本を手に取った。
　それは、単行本サイズの薄緑色の本で、
『文集　　久平八重(ひさひらやえ)』
　とただ六文字、表紙と背表紙にそれぞれ書かれていた。文集、の文字が大きくて、その下に……ひさひらやえ？と読むだろうか。この本の作者らしき名前が小さく印刷されていた。
　表紙は薄緑色の単色で、帯はなく、裏表紙にもこの本がなんなのかが分かる情報は載っていなかった。
「……こんな本、持ってたかな」
　本を開いて目次や巻末の奥付を開けばよかったのだけど、そうする気にならなかったのは、ずっと本棚整理をしていて疲れていたからかもしれない。
　時間も時間なので、とりあえずその本を本棚にしまおうとすると、さっき本が倒れた拍子に、黒猫のシルエットのブックスタンドが一匹、くるりと向きを変えて僕の方に向き直っていた。

　それはどこかお茶目なしぐさに感じられて、その光景とリンクするように、いつかの誰かの言葉が脳裏に浮かんだ。

――『そうかな？　私、猫みたいで可愛いと思うよ』

　そうだ。僕が黒猫のブックスタンドを買ったことを知っていて言いふらす人なんて、あの水野結夏しかいない。
　疲れているのだろうか。
　時計を見ると時刻はもう十一時を回っていた。
　やっぱり疲れているのだろう。
　ふと、この本を見た結夏の反応を想像した。
「ねぇねぇ何読んでるの？……文集ぅ？もったいぶらずに教えてよ……って、ほんとにタイトルが『文集』じゃん！何その本!?」
……うん。彼女ならいかにも言いそうだ。
　僕はふと思い立って、いつもの文庫本とは違うその単行本サイズの薄緑色の本をかばんの中にしまった。
　結夏の反応を予想するなんて自分らしくないな、と気づいたのは、ベッドで目を閉じて数秒で眠りに落ちる直前だった。
　本当に疲れていたらしい。
　相変わらず、夢を見ることはなかった。